小説、その2「井森家の記憶」

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小説、その2「井森家の記憶」の新着ブログ記事

  • 井森家の記憶(第100回、最終回)

    第100回(11/27)  兄には娘と息子、ふたりの子供がいる。が、ともに未婚で、50歳のM子にはもはや子供は望めず、ならば、45歳のK介は今からでも妊娠可能な若い女性と結婚すれば、井森家の跡継ぎ誕生かもしれないが、果たしてどうなるのだろうか。  井森家三代の歴史を知っている私としては、このK介の... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第99回)

    第99回(11/23)  その父はこの世を去る間際にこう言った。 「オレの嫁選びは間違ってた」  が、時、既に遅し。  父は84歳のある日、母が入院中に風邪をひき、宅配弁当を3日間口にしないまま、肺炎と脳梗塞と腎不全の3つの病気を併発して、あっけなく人生の幕を閉じた。  自分の行く末を案じていた父... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第98回)

    第98回(11/20)  生存中の兄嫁は自宅に私を上げなかった。が、兄嫁が逝った半年後の新盆で兄宅に上がった私は、そのあまりに荒れ果てた室内に目を丸くした。  その家の台所では数時間後に来訪する住職さんのお茶の用意ができなかった。  この汚い台所で足腰が不自由だった兄嫁は何を調理し、何を口にしてい... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第97回)

    第97回(11/15) 「家事能力が著しく欠如してるM子ねぇー」 「叔母のあたしらにまったく心を開かない、あの娘ねぇー」  病床の姉と古希を過ぎたがんサバイバーの私が、M子のことをいくら思案しても、今更、50歳の人間をしつけ直すのが無理というもので、名案など浮かびようがない。  M子は未婚で五十歳... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第96回)

    第96回(11/12)  姉が逝った2019年3月はコロナがこの世界に蔓延することになろうとは夢にも思ってなかった時だった。姉の葬儀は800名の方が焼香に訪れてくれた。  他界直前の姉はK大学病院の個室に3か月間入院していた。何回か見舞った私は、庶民のではとても手が届かない1日5万円也の病室を拝見... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第95回)

    第95回(11/3)  兄嫁は40歳の時乳がんになってK大学病院で手術を受けた。手術の日、私は病院に足を運んだが、兄嫁と同じ年、30年前の私は日々の生活を送ることに必死で、乳がんに罹った妻を持つ兄の心境を思いやる心の余裕がなかった。  乳がんになった兄嫁はそれから再発も転移もなかったが、冬の寒いあ... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第94回)

    第94回(11/1)  女同士の姉と私は喧嘩しいしい結婚後も付き合っていたが、男の兄とは結婚後の付き合いはあまりなかった。  現役時代の兄は会社の仕事で平日は忙しく、休日は兄も私もそれぞれの家族と過ごしたので、付き合う機会があまりなかったからだ。  兄と顔を合わせるのは親戚の結婚式か葬式か法事だっ... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第93回)

    第93回(10/26)  その姉は65歳で糖尿病を発症、他界前の数年間はインシュリン注射を打ちながら家事と仕事と学業をこなしていた。が、他界直前は人工透析を受けなければ生きられない身体だったが、直接の死因は肺がんだった。  糖尿病といえば祖母も糖尿病だったので、その病気は遺伝するらしいので、糖尿病... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第92回)

    第92回(10/21)  姉にコンプレックスを抱き続けてきた私だが、それ以上に何をやってもひとより勝る姉を誇りに思っていた。  何にでも頑張りすぎる姉だった。四人の息子たちの教育、自営の仕事、自分の勉強と、寝る時間を削って、普通のひとの何倍ものことを成した。  姉宅の経済状態は裕福で、だからこそ四... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第91回)

    第91回(10/16)  父の葬儀の折り、山梨から父方の叔父と叔母、従兄弟たちが来てくれた。  彼らは通夜と告別式に参列してくれたのだが、その律儀さの理由は、父が年に数回はひとりで山梨に出かけて、自分の兄弟や従兄弟たちと親睦を深めていたから、と、思う。 父は六人兄弟で上から二番目、次男だった。  ... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第90回)

    第90回(10/10)  76歳で逝った姉は多忙を極めるひとだった。  結婚してからは自営の経理の仕事をしながら、四人の男の子を育てた。  姉の子供たちは四人とも性格が良くて、成績優秀で、四人揃ってK大学を卒業した。  そして、子供たちの教育が一段落すると、次は姉自身が50歳にして大学に入学した。... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第89回)

    第89回(10/6)  井森家の面々はほがらかでくよくよしない者の方が多い。  その筆頭が母で、丸顔で小太りだったせいか見るからにのんきそうだった。  その連れ合い、父は面長で痩せており、いつも苦虫を噛み潰したような顔をして、笑顔を見せず、で、見るからに神経質そうだった。  父は婿養子だったが、井... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第88回)

    第88回(10/3) 思えば、「井森家の記憶」を書き始めたのは去年の11月だった。  書いているうちに、コロナが収まる時まで、たぶん半年先まで、と、思うようになったが、一向にコロナが収まる気配がない。  高齢者の私はコロナ感染が怖くて、不特定多数の者たちと遭遇する公共の乗り物、電車やバスでの外出を... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第87回)

    第87回(9/22)  結局、姉は高卒後24歳でS電気工事会社の社長と結婚して、次々と四人の男の子を設けた。  結婚後の姉は自分の能力を最大限発揮した。嫁ぎ先の会社の経理を担当して、従業員を 100名まで増やし、夫がサラリーマンの我が家とは桁違いの収入で豊かな生活を営んだ。  そして、母の老後はと... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第86回)

    {12}末っ子の宿命 第86回(9/18)  姉が2年前の3月、兄がその3か月後に相次いで逝った。姉は享年76歳、兄は享年 72歳だった。 2020年の日本人の平均寿命は女性が87歳、男性が81才なので、70代で他界した姉と兄は少々早く死を迎えたのだが、ふたりとも揃って最期は肺がんに冒されて、だっ... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(85回)

    第85回(9/11)  私が子供時代、井森家のトイレは西日が当たって夏も汗だくになって辛かったが、冬のトイレはしゃがんで用を足す落下式、俗称ぼっとん便所だったので、用を足す時は下から冷たい風が吹きあがり、寒いの何の、だった。  井森家のトイレが水洗になったのは私が大人になってからだった。  その前... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第84回)

    (11)井森家の冬 第84回(9/7)  私が子供時代の冬は今より寒かった。  現在は部屋をエアコンや石油ストーブなど、スイッチひとつで暖かく出来るが、私が子供時代の井森家の暖房は掘り炬燵と火鉢のみだった。  掘り炬燵は当初は火をおこした練炭や豆炭を入れていたが、そのうち、掘り炬燵用の電化製品に変... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第83回)

    第83回(9/3)  井森家では真夏の晴天の一日、家中の畳を虫干する行事があった。その頃の井森家は平屋で、間取りは六畳の和室ふたつと四畳半と三畳がひとつずつの四部屋だった。  その日は家族全員が朝早く起きて、部屋にある物を片づけた。  畳を庭に干してる間は落ち着いての食事が無理なので、母が昼食のた... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第82回)

    第82回(8/31)  夏ではないが、家族揃っての外出がまれの井森家だったが、東京見物に出掛けたことがあった。  東京の地をよく知らない父だったので、電車が私たちを目的地近くの駅まで運んだ後は、タクシーを利用して東京見物をした。  東京見物で最も印象に残った場所は、交通博物館だった。実物そっくりの... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第81回)

    第81回(8/26)  夏休み、余所宅では泊まりの家族旅行を楽しんでいたらしいが、井森家は両親揃って旅行の趣味がなかったので、宿泊の旅はなかった。が、子供たちの宿題で絵日記が課せられたので、私の、「一昨日も昨日も今日も何もしなかった、家にいた」では、その日記を学校へ提出するのはみっともない、と、夏... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第80回)

    第80回(8/23)  私にとって、夏の楽しみは盆踊りとお祭りだった。  姉は引っ込み思案の私と違って活発で人前に出ることを恐れなかった。  母の言によると、姉は三歳の時、家族がふと気づくと自宅から姿を消していた。箪笥の引き出しを見ると開けっ放しになっており、姉の浴衣がなかった。  心配になった家... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第79回)

    第79回(8/19)  蚊帳の話に戻るが、両親と子供時代の兄と私は六畳の和室に四人並んで寝た。父と母が真ん中で、父の左側が兄、母の右側が私だった。  蚊帳のなかは暑かった。母が団扇で風を送ってくれたのだが、その風が心地好くて、私は至福のなかで眠りについた。  扇風機は私が小学校高学年の時、我が家に... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第78回)

    第78回(8/16)  裏山から湧き出る清水が井森家の井戸に流れ落ちる。  井戸の深さは三メートル、直径は一メートルほどだった。縁までの高さが二十センチ位と低かったので、傍らでつまずいたら頭から井戸に落ちてしまう恐怖があった。  井戸の水は透明だった。顔を水面に貼りつけてなかを覗くと、底にビー玉や... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第77回)

    第77回(8/13)     主婦は自宅が職場で、家にいる限り次から次へと仕事が見つかって、気が休まらない。 主婦の仕事はいくらやっても評価されず、賃金も得られない。  母の口癖は家の仕事は張り合いがない、だった。そんな母の張り合いは、ネッカチーフの縁をかがる内職だった。ミシンを使用せず、手縫いで... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第76回)

    (第76回 8/9)  婿養子の父だったが、井森家での父は絶大なる権力の持ち主だった。  父は自分に逆らう家族の者たちには手厳しく向きあった。  ある時、父に激しく口答えした母は父に殴られて、顔面に青あざを作った。数日間、お岩さんの面相で過ごした。  が、母は気持ちの切り替えが早かった。父の顔を見... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第75回)

    第75回(8/6)  やせ型で生真面目な父と小太りで大ざっぱな母はある意味でいいコンビだったかもしれない。  兄は体格も性格も金銭感覚も父とは対照的だった。  友達が多い兄は、最後の最期まであの友達、この友達と付き合っていた。  兄嫁の友達付き合いに関しては知るよしもないが、ただ義妹の私とは親戚付... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第74回)

    第74回(8/2)  冬の寒い日、自宅風呂場で溺死した兄嫁は享年六十九歳だった。彼女が残したものは、ゴミ屋敷と三百万円の借金と家事能力が欠如した五十歳の未婚の娘だった。  実家に通っていたある日、帰り際に兄宅に寄ったのだが、兄嫁は玄関ドアの外に立つ私に、「お茶でも」の一言もなかった。が、私は半ば強... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第73回)

    第73回(7/28)  結局、兄が承諾したので、父は人工呼吸器をつけることになった。  医師が言う。 「人工呼吸器装着には井森さんを今夜から睡眠状態にしなければなりまぜん。会わせたい方がおられましたら、早急に連絡願います」  その日、姉は知人の結婚式に参列していたのだが、急遽、病院にやって来た。待... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第72回)

    第72回(7/23) 「それが、たいへんなのよ」  医者から聞いた話を手短に伝えた。  その朝、兄嫁はパートに出かけたのだが、行く前に数日前から体調を崩していた父の様子を見に行かず、自宅からパート先に向かった。  もし、その朝、兄嫁がちょっと父の所に寄ってくれていたら、その時は脳梗塞で既に半身不随... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第71回)

    第71回(7/20)  集中治療室にいる父を待合室で案ずる私に医師が寄ってきて、「井森さんのご家族ですか?」と、聞いた。 「はい、そぉーですが」 「井森さんは本日の未明に脳梗塞を起こして、半身不随になりました。加えて肺炎と腎不全と、三つの病気を併発しており、極めて危険な状態です」 「そぉー、ですか... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第70回)

    第70回(7/17)  兄嫁はお盆を使うでもなく、おかずの一品も添えることなく、菓子パン二個のみをおいたのだった。 「イヌじゃ、あるまいし!」  かろうじて、私はその言葉を飲みこんだ。  兄嫁の持ってきた母の昼食は私には考えられない物だった。  かねてから兄嫁と私は親しく口を聞く仲ではなかったし、... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第69回)

    第69回(7/14)  週に一度実家通いをしていた私がある日、正午前に実家に到着すると、母が相好を崩して、「今日のお昼ご飯、嫁さんがもってきてくれるんだよ」と、告げた。 「そりゃあー、いかった、いかった」  うれしさのあまり、私は母と抱き合いたい気分になった。  父の死後、独居老人になった母を案じ... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第68回)

    第68回(7/10)  几帳面な父とおおざっぱな母は喧嘩が絶えなかったが、そんな母の気晴らしはひとりでバスやタクシーに乗って、日中の三、四時間、あちこちに出かけることだった。  ふた親は経済的には困っていなかったようで、姉の会社で働いていた父の給料は父のものだったが、なんせ、お金を使わない体質の父... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第67回)

    第67回(7/4)  姉も私も生活に困ってはいない。殊に自営業の姉はサラリーマンの我が家とは収入が桁違いに多く、姉はよく実家にお金を出していた。  実家への支援の一番は父を姉の会社の倉庫番として雇ったことだったろう。  父は電車とバスを乗り継いで片道二時間の道を仕事場まで週に三日通い、一日に四時間... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第66回)

    第66回(7/1)  父は自分の老後がひと一倍心配だったようだ。無駄遣いをせず、食道楽も着道楽も旅道楽もなかった父の趣味はお金を貯めることだったのかもしれない。  が、父が自分の老後について案ずる必要はまったくなかった。なぜなら父は身体が不自由になってからわずか三週間で息を引き取ったからだ。  人... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第65回)

    第65回(6/25)  父は女房子供の前では気難しい顔をして、笑顔を見せなかった。その父が兄嫁がその場に加わると、気難しい顔を解いたのは、たぶん我が老後を兄嫁に託すつもりだったので、気を遣ったせいかもしれない。  私自身は実家の隣りに兄が住み始めてから、兄は随分と父に援助してもらってる、長男として... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第64回)

    第64回(6/23)  清潔好きだった父が、なぜこざっぱりさせない兄宅を黙認していたのかは不可解だが、たぶん父は自分が夫婦にしたゆえ、己のメンツゆえに夫婦揃って掃除能力が欠如した兄夫婦に文句のひとつも言えなかったのだろう。  母は父に、「あんな女を正樹にくっつけて」と、文句を垂れていた。が、どこま... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第63回)

    第63回(6/20)  と、なると、父がいたく気に入って、息子の嫁にと、半ば強引に兄と結婚させたのだが、兄宅がゴミ屋敷化したのは、昔から家事能力が欠如していた兄嫁を父が見抜けなかったせいかもしれない。  その父はといえば神経質が服を着ているような人間だった。  父は自分の持ち物の置き場所として、洋... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第62回)

    第62回(6/17)     兄一家が大和に住んでいた頃、私は一度だけ兄宅を訪問したことがあった。  二階建てで、二階は和室がふた間、一階は六畳の和室とキッチンだった。  一階の和室が茶の間になっており、炬燵が据えてあったが、ほつれた炬燵布団から綿がはみ出ていた。  炬燵には顔だけ出した娘、M子が... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第61回)

    (9)なぜゴミ屋敷に? 第61回(6/15)  兄嫁と私の関係は、ふた親が元気な頃はどこにでもあるような義姉妹だったと思う。  その関係がぎくしゃくし始めたのは、親が要介護状態になってからだと、思う。  娘の私としてはつい我が親のことを悪く言ってしまうものの、そこは血の繋がった親子だからこその甘え... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第60回)

    第60回(6/10)  兄宅はM子の捨てられない物たちが、アリ塚のようにあちらこちらで円錐形の山を作っていた。  その高さはダイニングテーブルが埋まるほどだから、一メートル以上だろう。  後日、そのアリ塚の正体を見た私は、M子が十代の頃に身に着けたと思われる、あの頃より体重が増した現在のM子には片... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第59回)

    第59回(6/7)  兄は未婚の娘(47歳)と同居していたが、ふたりの仲は険悪だったらしく、兄は、「出ていけ!」の言葉を何度も投げたらしいが、娘のM子は家に一円も入れずに居座り続け、ついにふた親ともが没した今、親が残した家でひとり暮らしをしている。  さて、住職さんのお茶の用意をしようと台所に立っ... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第58回)

    第58回(6/3)  親が更地にした六十坪の土地に兄は三十坪の家を建てて、大和から保土ヶ谷に居を移した。  兄宅は保土ヶ谷駅から徒歩十分、保土ヶ谷駅は横浜駅から電車で五分、門と塀があり、外から見れば閑静な住宅地に溶けこんでいた。  父の死後、ひとり暮らしになった母が心配で、我が家から実家まで二時間... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第57回)

    第57回(5/31)  親は長男の兄を大事にし、可愛がりすぎたのかもしれない。  二十年前に父が、その六年後に母が他界し、で、空き家となった親の家を兄が数年間管理していたが、ある日、兄が、「これ以上、親の家を維持できない」と、親の家を売った。  その時、姉が私の耳に、「親の家は借地権があった、正樹... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第56回)

    第56回(5/26)  親が建てた大和の家に無償で住んでいた兄夫婦だったが、父が死去する十年前から借地ながら親の敷地続き、六十坪の土地に三十坪の二階家を新築して、居を大和から保土ヶ谷に移した。  親としては兄夫婦が自分たちの側にいたら、老後が安心、と、踏んだのだろう。  父がこう言った。 「四人い... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第55回)

    第55回(5/22)  兄は四歳上の姉の言うことはよく聞いたが、二歳下の私には言いたい放題だった。  肺がんで七十二歳で逝った兄だが、たぶんその年まで一生分を食べて、一生分を飲んで、一生分を友人たちと群れて、一生分の言いたいことは吐いたのではないだろうか。  外見は父に似てない兄だったが、外面が滅... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第54回)

    第54回(5/18)  両親は井森家の長男、兄の正樹に夢を託し、期待した。  学歴がない父は兄にどうしても大学卒の学歴をつけたがった。兄もまた親の期待に応えて、中学、高校と勉学に励み、現役で明治大学工学部に合格した。大学生を息子に持った母の喜びようはひとしおだった。  母はどこの誰でも、その場で出... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第53回)

    第53回(5/16)  兄嫁は40歳の時に乳がんに罹患して、北里大学病院で手術を受けた。  後日、兄はその時のことをこう述べている。 「ふたりの子供はまだ小学生だった、どぉーしていいのか、途方に暮れた」  その時、私は兄と同じくふたりの小学生の子供がいたので、我が日常を営むことで精一杯だったので、... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第52回)

    第52回(5/14)  二十一歳で結婚して井森家を出た私は、それから実家には足繁く通ったが、会社員の兄とあまり会う機会がなかった。  兄の結婚は私が長男を妊娠中の時だった。相手は私と同じ年で、父が同じ職場に勤務していた事務員の彼女をいたく気に入り、父が兄にその彼女との結婚を勧めたので、兄が、「あぁ... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第51回)

    第51回(5/11)  肺がんで余命宣告された時、兄の体重は九十九キロだった。  昔から食欲旺盛だった兄はよく食べたせいか、両親は揃って背が低いのに、身長が百七十五センチまでのびた。  井森家では母が子供たちのおやつを一人分ずつ新聞紙にくるんで、食卓の上に置いていた。  私は毎日そのおやつを、今日... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第50回)

    第50回(5/8)  兄嫁の一周忌が済むやいなや、兄に肺がんが見つかった。 「オレと一緒に病院に行って、先生の話を聞いてくれや」  兄に頼まれた私は指定された日時にY市立病院に赴いた。  病院に行くと兄の長男、K男も来ていた。 「M子は?」  兄は子供がふたりいる。長女のM子は兄と同居している。兄... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第49回)

    第49回(5/4)  兄嫁の葬儀は盛大だった。喪主の兄、姉夫婦、私たち夫婦、その時は健在だった兄嫁の弟、兄夫婦の知り合いなどで、弔問者は200名ほどだった。  自宅風呂場で溺死した兄嫁は不審死だったため、救急車で病院に運ばれた後、警察で解剖となった。階段で転落死した兄嫁の弟も不審死だったので解剖と... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第48回)

    第48回(5/1)  姉は2019年3月3日に享年76歳で、兄はその3か月後の6月26日に享年72歳で没した。  その1年前、2018年12月には兄嫁が享年69才で自宅風呂場で溺死した。その死から半年後の5月には兄嫁の弟、享年65才が階段から転落して急死した。  この次々と起こった死の始まりは、父... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第47回)

    第47回(4/29)  そうなった原因は母の妊娠中に父が戦地に赴き、父が三年後に自宅に戻れば、姉は三歳になっており、「このひと、だぁーれ?」と、懐かなかったことから始まったのだと思う。  子供は三歳までが一番かわいい時期で、その時、姉と離れていた父、姉を可愛がっていた祖父母、の確執が井森家の争いと... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第46回)

    第46回(4/27)  概して、昔の男は気位が高い、とりわけ井森家の父は、「このオレ様が大黒柱だ、このオレ様の稼ぎが家族を食わせてやってるんだ!」が、服を着ているようで、「家族の者ども、このオレ様に従え!」という威張り屋だった。  次女の私はそんな父が怖くて逆らう体力も気力もなく、父の言いなりだっ... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第45回)

    第45回(4/23)  リューマチに加えて加齢のため膝が悪くなった母は、八十歳を過ぎて左右の膝に人工関節置換術を受けた。  手術は片足ずつだったので、確か一回の入院が三週間程度だったと思う。  母がその手術をしたのは、今から二十年も前のことなので、現在の膝関節置換術の入院期間はもっと短いだろう。母... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第44回)

    第44回(4/19)  関節リューマチになった母は徐々に家事が難しくなってきた。八十八歳まで生きたが、八十歳までは何とか家事をこなしていた。  顧みれば、母の具合がより一層悪化したのは、二歳上の父が八十二歳で姉の会社を退職して、それまで週に三日、保土ヶ谷から横須賀線で横浜、横浜から相鉄線で海老名、... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第43回)

    第43回(4/17)    父が罹患した病気、膠原病といえば母も七十五歳から膠原病の一種、関節リューマチになり、身体のあちこちを痛がり、思い通りに動けない我が身に悶々としていた。  関節リューマチは筋肉や関節に痛みと炎症が多発し、それが身体の各部に流れていく病気で、徐々に骨が溶けてしまうらしい。 ... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第42回)

    (7)井森家の者たちの病気 第42回(4/14)  父は八十二歳まで姉の会社で働いて、八十四歳で他界した。  最後は肺炎と脳梗塞と腎不全みっつの病気を同時発症し、救急車で三ツ境の聖マリアンナ病院に運ばれて、三週間を人工呼吸器をつけた状態で集中治療室で過ごした末に息を引きとった。  八十過ぎまで生き... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第41回)

    第41回(4/10)  秋山村をおいとまする時が来た。帰る際、父の生家を始めとしてあちこちの親類がたくさんのおみやげを寄こしてくれた。  なかでも秋山村の名物、手作りの酒まんじゅうは、市販の饅頭の数倍の大きさで、少々塩味がする餡とかための皮は、そんじょそこらにはない素朴さを味わえる。  畑でとれた... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第40回)

    第40回(4/6)  炭焼き小屋見物のあとはいったん父の里に戻って、叔母がお昼にと用意してくれたおむすびを忠男が自分用の背負い籠に入れて、反対側の山へ向かった。  先頭は忠男、兄と私が後に続いた。  五月上旬であった、静かな山道を歩いていると、ホッホケキョーの声が辺り一面に響いた。  その時、私は... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第39回)

    第39回(4/2)    父の秋山村への里帰り、一泊目は、中央本線の上野原で途中下車して、駅の近くに住む父の妹の家に泊まった。  翌日、父の里に到着したのだが、夕食の一番のご馳走は、子供たちの末の子、小学一年生の忠男が飼い鶏の一羽の首を絞めて、その鶏肉をメインにしての鍋料理だった。あの頃、秋山村に... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第38回)

    第38回(3/28)  料理のセンスが欠ける母が作るお弁当は、ご飯の上に焼きサンマが一匹、などと、ひとに見られたくない日もあった。高校生以後の私は自分のお弁当は自分で作るようになった。  母が料理嫌いの原因のひとつに井森家の台所が狭くて使い勝手が悪かったこともあったと思う。  井森家の大きな出費の... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第37回)

    第37回(3/25)  秋山村の農家に生まれた父は成績が優秀で、小学校の卒業時、教師から上の学校に進むように勧められたが、家が貧しくて、学歴は高等小学校卒だった。  卒業後は横浜の古河電工に入社するまで、様々な仕事をしていたらしい。  横浜まで出てきた父だが、父が若い頃、交通網は発達しておらず、横... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第36回)

    第36回(3/23)  内面がめっぽう悪かった父だが、勤め先の会社では労働組合の委員長として、横浜工場の敷地内に体育館を建設することに奔走し、父の努力によって体育館が完成した。  また政治が好きで、社会党を支持し、選挙の際には隣近所の者たちを我が家に集めて、立候補した社会党議員が我が家で演説した。... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第35回)

    第35回(3/21)  母は、時、所、相手かまわず、思ったことをその場で口に出さずにはいられない癖があった。が、私からみればかわいげがあって、憎めないひとだった。  その母は父の悪口を私に耳にタコが出来るほど聞かせた。そのことにより私の脳内は、母は良い人、父は悪い人が刻みこまれた。  父は坊主頭で... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第34回)

    (6)井森家の茶の間 第34回(3/15)  祖父母と父と母、子供三人の七人家族だった井森家の茶の間は、食事中にたびたび喧嘩が勃発した。  食事をとるために、一日に二回、朝と夕に家族全員が茶の間に集まるのだが、その場でつい余計なことを口走る母のひと言が、喧嘩が始まる要因のひとつだったかもしれない。... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第33回)

    第33回(3/12)  姉も私も結婚して子育てが始まった以後、実家に足繫く通うようになった。と、ともにそれぞれが我が家庭の出来事を母に電話で話すようになった。  母は姉から電話をもらうと、必ずや私に電話をしてきて、姉からの電話の内容を事細かに話した。その母は思ったことは口に出さずにはいられない癖が... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第32回)

    第32回(3/9)  それから姉は一年半後に次男、そのまた一年半後に三男を生み、更に、上の三人の子供たちと年が離れた四男を儲けた。  年子と変わらない乳幼児三人の母親だった頃の姉は、三人めの妊娠時は膨らんだ腹の上に次男を抱き、長男を背負って、用事に出掛けていた。  一方、二十一歳で結婚した私はとい... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第31回)

    第31回(3/5)   思えば幼少時代に近所の子供たちに『はないちもんめ』という遊びに誘われた。仲間に加わったのだが、それはそこに集まった十人が五人ずつに分かれて、向かい合い、手と手をつないだこちら五人とあちらの五人が、「あの子がほしい」「あの子じゃわからん」「この子がほしい」「この子じゃわからん... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第30回)

    第30回(3/2)   高校時代の私は学校の勉強は落第点をとらない程度で、読書とJRC活動に明け暮れた。  学校には図書館司書の先生が主催する読書会があった。ひょんなきっかけから読書会のメンバーになった私は、そこで自分でいうのも何だが、たちまち存在価値を認められる者となった。  勉強もダメ、運動も... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第29回)

    第29回(2/26)  姉と私の深夜二時間の語らいは、姉が二十四歳で結婚して実家を去るまで三年間続いた。  姉の結婚はお見合いだったが、相手は電気会社の社長で、金銭的に恵まれた生活を約束されていた。  姉が結婚した当時、高校卒業が間近に迫っていた私は就職先の希望が出版社だったのだが、父が、「オレが... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第28回)

    第28回(2/23)  いじけた高校生の私だったが、ふたつのこと、本を読んでいる時と、JRCのクラブ活動をしている時だけは生き生きしていたと思う。  私の読書好きはたぶんあの頃、勤め先の演技部に属して、サルトルだのボーボワールなどと文学を熱く語った姉の影響だと思う。  姉は午後十一時になると、就寝... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第27回)

    第27回(2/17)  クラス分けは選抜コースひとクラス、理科系大学、文科系大学、就職希望、家庭科コースと、五つだった。選抜コース以外は生徒本人が希望する進路によって、クラスを選ぶことができた。  大学進学を希望していた私だったが、父が、「うちは女を大学に行かせる金なんか、ない!」と、両の目を吊り... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第26回)

    第26回(2/12)  が、ふた親の死後長男の兄が数年間井森宅の空き家を管理していたのだが、古家の面倒をみきれなくなった兄が、井森宅を手放した。  今現在、井森家の面々が暮らしていた家は跡形もなく壊されて更地となり、他人さま名義の駐車場となっている。  その地に井森宅があった唯一の形跡としては、駐... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第25回)

    第25回(2/8)  もっとも姉と口を聞くきっかけになったのは、父の姉への厳命、「おまえ、今夜から文枝と同じ部屋で寝ろ!」が、あったからで、姉が午後十一時になると、四畳半の私の部屋にやって来て、同じ部屋で休むようになったからだ。  姉と私は四畳半をカーテンで仕切って、かろうじてお互いのプライバシー... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第24回)

    第24回(2/6) 姉は高校の卒業式の時、卒業生代表で答辞を読んだ。 父は勉強ばかりの姉に、「夜遅くまで起きてるな! 電気代がもったいない! うちの手伝いをしろ!」などと、鬼の形相で怒鳴っていた。 そして、社会人となって学校の勉強から解き放たれた姉だったが、就職した銀行は残業の連続で、毎日帰宅時間... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第23回)

    第23回(2/3)  五十メートル徒競走ではいつもビリか、ビリから二番だった私は、芯は負けず嫌いなのだろう、気持ちはすぐ先を走る者を追い抜こうとするのだが、懸命に足を動かしても、すぐ先を走る者を抜けなかった。  年に一度の秋の運動会は母が見学に来た。その日、夕食時の話題はかけっこでどんじりだった私... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第22回)

    第22回(2/1)  が、私は思う。  頭脳明晰だった姉のこと、あの時、東京大学を受験していたら、たぶん東大生になっていただろう。しかし、父の猛反対にあった姉は、第一銀行に就職した。  まったくもって、同じ親から生まれたというのに、姉の脳みそと私のは格段の差があった。  子供時分、姉と兄と私の三人... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第21回)

    第21回(1/29) (5)姉と私の関係  幼少時代、ひとつ屋根の下で過ごさなかった私たち姉妹は、普通の姉と妹の関係とは少し違っていた、と、思う。  姉との同居は私が小学一年の時からだから、その頃、六歳年上の姉は市電で山手の私立中学校に通っていたので、朝は早く家を出て、帰りは夕方で、小学生の私とは... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第20回)

    第20回(1/26)  父は甘い物を好まなかったうえに歯質が良かったのだろう、八十四歳で没するまで虫歯が一本もなかった。  それにしても井森家の面々は口が悪かった、ことに家族間では遠慮なく、自分が思った通りを口にしたため、言われた方はむっとしてただちに言い返した。  母の晩年は寝たきりだったが、あ... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第19回)

    第19回(1/23)  末っ子の私は母親べったりだったせいか、母がひとに語る話を傍らでよく聞いていた。  ひとたび口を開いた母は、相手が、「へぇーっ! そぉーなんですかぁー、奥さん、苦労したんですねぇー」などと、反応したが最後、我が生い立ちから、自分と祖母との関係、父の悪口等々、相手がその場から立... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第18回)

    第18回(1/19)  だが、井森家の面々、とりわけ母は思ったことをすぐ口に出す癖があった。  母のおしゃべりは相手、時、所かまわず、実際のことよりオーバーにおもしろおかしく話すので、話題にされた家族はたまったもんじゃない。  大方の者は内容によって話す相手を選ぶものだが、母の場合は頭に浮かんだが... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第17回)

    第17回(1/16)  母、ハルは大正8年生まれ、ふたり姉妹だったが、妹が早世したため、子供がひとりとなって、親の面倒をみるしかない立場となった。  実祖父は車夫をしていたが、母が三歳の時、関東大震災の日に桜木町まで人力車を走らせて、そのまま帰らぬひととなった。  再婚した祖母だが、遣り手の方だっ... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第16回)

    第16回(1/13)  2年前に76歳で亡くなった姉は最後まで、「あっちにいる母さん、どうしてるかな?」と、母への思慕の情を口にしていた。  姉はまた母のことを、♪ かあさんがぁ~夜なべをしてぇ~手袋編んでくれたぁ~ ♪通りの母さんだったね、と、言っていた。  大人の都合で七歳から七年間、母親と離... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第16回)

    第16回(1/11)  もっともその教師に限らず、小学校から高校卒業までの十二年間、私は担任の先生がことごとく嫌いだった。が、たったひとり小学四年の担任、「喜びも悲しみも幾年月」の歌手、若山彰に似た先生は好きだった。  私はそもそも勉強と団体生活を強いる学校というものが嫌だった。親が、「学校に行か... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第15回)

    第15回(1/8) そう思う私だが、内心が負けず嫌いの私としてはどんなに頑張っても姉に勝てない自分がもどかしかった。  私たちが姉と妹だということを知られたくない、と、感じた時期があった。それは中学時代の担任教師の台詞、「おい、井森、おまえの姉さんは、おまえと大違いで、頭が良くて美人だってな」を、... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第14回)

    (4)姉、真由子 第14回(1/7)  姉の真由子は昭和18年1月に生まれて、2019年3月に死去した。享年76歳だった。  姉は努力家で頑張り屋だった。努力して努力して、頑張って頑張り抜いて、一生を終えた。その努力と頑張りは見事に実を結び、家庭的にも経済的にも恵まれた人生だった。  姉は四人の男... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第13回)

    第13回(1/3)  貧しいながらも親は三人の子供たちに七五三をやってくれた。  姉の七歳は、玄関の前に立つ着物姿の姉が、不愉快丸出しの顔で白黒写真にうつっている。  五歳の兄と三歳の私は二歳違いのため一緒の七五三で、ふたりともが着物姿で、手をつないで写真に収まっている。  自分の七歳の七五三はよ... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第12回)

    第12回(12/31)  会社員の父の収入で祖父母宅の経済的援助をしていたようで、カレーは肉の代わりに竹輪だったが、戦後、間もないあの頃は近所の家々も我が家と似たりよったりの生活だったし、今日食べる物に困ることはなかった。  貧乏ながらも親は兄を幼稚園に入れたが、兄は今でいう登園拒否を起こして、ど... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第11回)

    第11回( 12 /29)  母の体内にいた私は、大和駅近くに貸りたお宅の離れ、物置で生まれた。  ひと部屋に父と母、兄と私の四名暮らしはすぐに終わりを告げることができた。大和駅より徒歩十分の地に大規模な県営住宅が建ち、抽選に当たり、そこに住むことができたのだ。幼かった私にはその二軒長屋の文化住宅... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第10回)

    第10回(12/24)  昭和二十一年、姉が三歳の時に戦地から戻った父だが、ほどなく母が懐妊し、昭和二十一年十一月に兄が生まれた。  井森家は五人から六人家族になったわけだが、それでも父と母が祖父母の家を出たのは、復員した父が同居してから三年後だったので、この三年間は何とか同居生活を持ちこたえてい... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第9回)

    第9回(12/22)  召集令状が来て父が戦地に赴いたのは昭和十八年、その時、姉は生後三か月だった。  日本はといえば昭和十六年に開戦し、昭和二十年に終戦となった太平洋戦争の真っただなかだった。  戦争に行った父は三年後に無事に帰国したのだが、自宅に戻れば父が留守の間、当たり前のことながら姉は三歳... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第8回)

    第8回(12/19)  3、大和以前  母の話ではイエスキリストではないが、私は大和市のとある宅の物置で生まれたという。食卓はリンゴ箱だった。  一月二十九日生まれの私は、厳寒のまっただなかにお産婆さんの手によりこの世に生を受けた。  その直後、大和の県営住宅の抽選に当たり、物置の暮らしから二軒長... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第8回)

    第8回(12/16)   父は現在は千葉に移転しているが、かつては横浜市西区にあった古河電気工業の工場に勤めていた。残業の日は会社から菓子パン二個が提供され、帰宅した父は、「はい、おみやげ」と、ジャムパン一個ずつを兄と私に寄こした。工場のにおいがしたそのジャムパンの味は、数年前にロシアに旅した時、... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第7回)

    第7回(12/12)  あの頃、我が家の明かりは天井から吊った電気コードに裸電球をつけたものだった。そこに細長いハエとり用の黄色い油紙がぶら下がっていた。  べたべたしたハエとり紙には、ハエたちの死骸がついていた。  風呂桶は父がどこからか調達してきたドラム缶で、蓋はドラム缶の直径に合わせて作った... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第6回)

    第6回(12/8)   そしてまたある夕刻、夕飯の支度をしていた母が石油コンロで天ぷらを揚げていたのだが、その最中、兄が石油コンロの上方、棚にある物がとりたくなったのだろう、傍らの椅子に足を乗せて棚にある物に手を伸ばした瞬間、バランスを崩して足先をてんぷら鍋につけてしまった。  それを側で見ていた... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第5回)

    第5回(12/2)  それからそのひとは時々我が家にやって来たが、いつも無言でつまらなそうな顔をして本棚にある本に目を通しては、帰った。  子供心に私は母がそのひとに気を遣っていると感じた。  大和の住宅は戦後の住宅難で、県がその地に二軒長屋を数多く建てたもので、我が家側には同じ造りの二軒長屋が八... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第4回)

    「大和の暮らし」 第4回(11/29)  神奈川県大和市で生を受けた私は、そこで小学一年生まで両親と兄と私、4人家族で平和に暮らした。  大和の住居は県営住宅の平屋の二軒長屋で、敷地は四十坪と広かった。間取りは南向きの六畳の和室、北向きの四畳半の和室、二畳の台所に風呂場だった。  日当たりいい庭は... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第3回)

    第3回(11/27)  井森家の面々は思ったことを、相手の気持ちを考えずに口にした。ゆえに諍いが絶えなかったのだと、思う。  我が夫が、「井森家の種悪の根源は、お義母さんのおしゃべり」と、言い放ったが、母はあることないこと、おひれをつけておもしろおかしくひとに話す癖があった。また、母の話し方はいか... 続きをみる

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