小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(85回)

第85回(9/11)
 私が子供時代、井森家のトイレは西日が当たって夏も汗だくになって辛かったが、冬のトイレはしゃがんで用を足す落下式、俗称ぼっとん便所だったので、用を足す時は下から冷たい風が吹きあがり、寒いの何の、だった。
 井森家のトイレが水洗になったのは私が大人になってからだった。
 その前の便所は汲み取り式で、当初は定期的に前と後に樽を下げた天秤棒を担いだ業者が来訪し、柄の長いひしゃくで汲み取り口から汚物を汲み出して樽に入れ、近くに止めた車まで運んでいた。が、そのうちバキュームカーが登場し、車から太くて長いホースを便所の汲み取り口まで引き伸ばして、汲み取り口から汚物を吸い取る様式に変わった。
 人間、物を食べなければ生きていけない、食べれば汚物を排出する、人間が生きていくためにトイレは欠かせない物なのだが、私が子供時代のトイレは今と違って快適とはほど遠く、汚くて臭かったので、あまりその場に留まりたくない、あまり足を運びたくない所だった。
 あの時代、和式のトイレは入口の戸を開けると、男子用の俗称アサガオという立って小用を足す小便器があって、戸を隔てたその向こうに女子用の便器があった。
 臭い消しとしては、便所内にピンクや緑色の丸いトイレボールをいくつかぶら下げていた。
 トイレが済んだ後の手洗いは、トイレの出入口に吊り下げた水が入ったタンク、手水(ちょうず)を手のひらで何回か押して、出てくる水でやった。
 冬のある日、炬燵に足を入れていた姉が、「行きたいけど、寒くて、行くのがめんどぉー、おまえ、あたしの代わりに行ってよ」と、告げたが、女子の用足しは寒いことこのうえなかったので、誰もが行かなくて済むものなら行きたくなかったのだった。
 (続く、第86回)