小説、その2「井森家の記憶」

よろしかったら、読んでください

井森家の記憶(第90回)

第90回(10/10)
 76歳で逝った姉は多忙を極めるひとだった。
 結婚してからは自営の経理の仕事をしながら、四人の男の子を育てた。
 姉の子供たちは四人とも性格が良くて、成績優秀で、四人揃ってK大学を卒業した。
 そして、子供たちの教育が一段落すると、次は姉自身が50歳にして大学に入学した。その理由は、「死んだ時、棺桶に大学卒業証書を入れたい」からだった。
 姉は勉強が趣味のようなひとだった。そのうえ負けず嫌いだったせいか、首席で卒業した高校では、卒業生代表で答辞を述べた。
 50歳で大学生になった姉は、それから大学院、博士課程へと進み、遂に60歳で経済博士となった。教壇に数年間立った。
 公私ともに忙しい姉とは滅多に会えなかったが、会う折りは姉の都合に私が合わせた。
 その多忙極まる姉と、母と私は一度だけ箱根に一泊で温泉旅行したことがあった。その時、リューマチで足が悪かった母は、70代後半だったと思う。
 出発の日は横浜の実家で待ち合わせて、姉が運転する車で箱根に向かうことになっていたのだが、その日も忙しい姉だったらしい、約束の集合時間から二、三時間も遅れて実家に現れた。
 母と姉と私、井森家の女性三人が揃って一泊旅行をしたのはそれが最初で最後だった。
 母は自宅以外では寝られない質で、日帰りで出かけることは好きだったが、泊まりの旅は好まなかった。
 社長夫人として裕福な生活を送っていた姉は、三人分の旅行費用を全額負担してくれた。
 姉の車はベンツで、高速道路を飛ぶように走るので、助手席の私は往復のドライブを堪能させてもらった。
    (続く、第91回)