小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第51回)

第51回(5/11)
 肺がんで余命宣告された時、兄の体重は九十九キロだった。
 昔から食欲旺盛だった兄はよく食べたせいか、両親は揃って背が低いのに、身長が百七十五センチまでのびた。
 井森家では母が子供たちのおやつを一人分ずつ新聞紙にくるんで、食卓の上に置いていた。
 私は毎日そのおやつを、今日は何かなぁー、と、楽しみに下校していたのだが、ある日、学校から帰ると私の分のおやつがなかった。
 真相はひと足先に帰った兄が、私の分のおやつを食べたのだった。
「よくも、あたしの、を!」
 二歳年上の兄がいる元で育った私は、どうやらしとやかさとは無関係の女になったようで、兄とは些細なことからよく取っ組み合いの喧嘩をした。が、それも兄が小学生迄で、ある日、兄に顔を殴られた私は、目から火花が飛んで、前歯がぐらぐらになった。
 以後、腕力では兄に叶わないと思った私は、兄との取っ組み合いの喧嘩は辞めたが、とにもかくにも、外では笑顔で友達が多い兄だったが、妹の私には言いたい放題だった。
 肺がんで余命半年を言い渡された兄だったが、その直後、抗がん剤治療開始前にタイにゴルフに出かけた。
「外国で、もし、何かあったら、どぉー、すんのよ!」
 妻の兄嫁は逝ってる。同居の娘は頼りにならない。
 だが、兄はタイで一週間のゴルフをした後、お土産持参で無事に帰国した。
 お山の大将のけがあった兄だが、余命半年の間、妹の私の言うことをまったく聞かなかった。
  (続く、第52回)