小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第89回)

第89回(10/6)
 井森家の面々はほがらかでくよくよしない者の方が多い。
 その筆頭が母で、丸顔で小太りだったせいか見るからにのんきそうだった。
 その連れ合い、父は面長で痩せており、いつも苦虫を噛み潰したような顔をして、笑顔を見せず、で、見るからに神経質そうだった。
 父は婿養子だったが、井森家では一番の権力者で威張っていた。父に真っ向から歯向かう者はひと一倍負けん気が強い姉ぐらいだった。
 その父に母は面と向かって、「あんたはヘビ年生まれだから、細かくて、しつこいのだ」との台詞を放っていたが、その母は思ったことは何でも口に出す癖があった。
 私の連れ合いは、「井森家の諸悪の根源はおっかさんのおしゃべり」と、分析したが、確かに母のおしゃべりは時、所、相手構わず、思ったことをその場で何でも口に出すので、それもオーバーに作り話を交えて語るので、聞いている方はおもしろいらしい。
 例えば、姉と私はひんぱんにそれぞれが母と電話で話したのだが、姉と私は相手が母親なので気を許して、それぞれの家のことを話してしまう。そして、母は姉から聞いた話をただちにそのまま私に伝え、また、私が話したことを姉に伝えた。
 そのおかげで母が元気な頃、姉と私は直接話をしなくとも、双方の様子が手に取るようにわかった。
 私の母への電話は我が家の悩みだったので、母だからこそ何でも話したのだが、母は私から聞いた話をあちこちにばらまいていたのだった。
 もちろん、母の血をしっかり受け継いだ私もおしゃべりの癖があるが、老い先短くなった今は話の内容によって相手を選ぶことにしている。
 と、いうか、母も姉もあちらの世界のひとになった今、私は打ち明け話を語る相手を失ってしまったのだった。
 (続く、第90回)