小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第84回)

(11)井森家の冬
第84回(9/7)
 私が子供時代の冬は今より寒かった。
 現在は部屋をエアコンや石油ストーブなど、スイッチひとつで暖かく出来るが、私が子供時代の井森家の暖房は掘り炬燵と火鉢のみだった。
 掘り炬燵は当初は火をおこした練炭や豆炭を入れていたが、そのうち、掘り炬燵用の電化製品に変わった。
 火鉢は灰を入れた陶器の鉢の真ん中に火をつけた炭を入れた物で、手をかざして暖めたり、やかんで湯を沸かした。
 火鉢は正月に餅を焼く際に役に立った。餅を焼く係は大概私だった。
 部屋を暖める器具は他になかったので、炬燵はいったん足を入れると、抜け出すのが容易ではなかった。
 自宅での防寒衣は、父は綿入りの丈が長いどてらで、子供たちは綿入りの丈が短い半纏だった。
 朝の歯磨きと洗顔は井戸端でやった。冬の井戸は湯気がゆらゆらと立ちのぼっており、水は温かった。
 井戸の水は夏は冷たく、冬は暖かい。
 厳寒の朝は水道の水が凍ってしまい、水が出ないことがたびたびで、その用心としてボロ布で水道管をぐるぐる巻きにした。
 軒下には何本ものつららが垂れさがっていた。
 学校への道は畑の側を通るのだが、畑には霜柱が立っており、それを足の裏で踏み潰すのが、冬の朝の楽しみのひとつだった。
 そして、授業開始前に学校に到着した我々は、校庭でおしくら饅頭をした。その遊戯は数人が背中を向けあって丸い輪を作り、押し合いへし合いするのだが、その遊びをやると体がぽかぽかしてくるのだった。
 教室には石炭をくべる達磨ストーブがあった。
     (続く、第85回)