小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第58回)

第58回(6/3)
 親が更地にした六十坪の土地に兄は三十坪の家を建てて、大和から保土ヶ谷に居を移した。
 兄宅は保土ヶ谷駅から徒歩十分、保土ヶ谷駅は横浜駅から電車で五分、門と塀があり、外から見れば閑静な住宅地に溶けこんでいた。
 父の死後、ひとり暮らしになった母が心配で、我が家から実家まで二時間かかるが、私は週に一度は実家に足を運んだ。だが、隣家の住人となった兄嫁は私と顔を合わせても一度として、「うちに寄っていかない?」と、声をかけてくれなかったので、兄嫁が生存中は兄宅のなかの様子が皆目わからなかった。が、兄嫁が自宅風呂場で急死した時、抗がん剤の副作用により足腰の具合が悪かった私は、兄宅に足を運ぶことが出来なかったのだが、あの時元気だった姉が兄宅に足を運んで、室内の有り様を、電話で私に実況中継してくれたので、そのゴミ屋敷振りが手に取るようにわかった。
 兄嫁の死から半年後、兄宅で兄嫁の新盆をやったのだが、その時、私はようやっと少しは歩行可能な足になっていたので、兄宅に足を向けることができた。
 玄関ドアの外、傘立てには百円ショップで購入しただろう骨が折れた傘が五、六本、傘立てからはみ出ていた。
 玄関の三和土には何足もの靴があちこちに転がっており、足の踏み場がなかった。
 まっ!
 とにかく住職さんが来られる前に、玄関及びそれに続く仏壇が置いてある和室を何とか見られるようにしよう、と、必死に片づけた。
 一応、住職さんを迎える準備が整ったので、リビングに行くと、そこにはタヌキ顔の柴犬がいた。体重が十九キロもあり、腹が床につくほど太っていたが、おとなしい犬だった。
 兄はその犬をことの外可愛がっていた。
 (続く、第59回)