小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第79回)

第79回(8/19)
 蚊帳の話に戻るが、両親と子供時代の兄と私は六畳の和室に四人並んで寝た。父と母が真ん中で、父の左側が兄、母の右側が私だった。
 蚊帳のなかは暑かった。母が団扇で風を送ってくれたのだが、その風が心地好くて、私は至福のなかで眠りについた。
 扇風機は私が小学校高学年の時、我が家にやって来た。
 母は扇風機が好きで、買い物先に扇風機が置いてあると、その店の扇風機の風を受けさせてもらい、「あぁー、いい気持ち」と、相好を崩していた。そんな母だったので、扇風機が我が家に届いた時は喜びがひとしおだった。
 ところで、私が井森家で最初に目にした冷蔵庫は、二段の分厚い木製の物で、上段は氷屋が配達する四角い氷が数個入っていた。
 初代の木製冷蔵庫は生鮮食料品が傷みやすかったのだろう、母は足繁く肉や魚を買うために近所の商店街に通っていた。
 特に傷みやすい食品は豆腐だった。冷ややっこが食卓に並ぶ夕食の日はその数時間前に用意しなければならなかったので、子供の私は母によく豆腐屋へのお使いを頼まれた。
 七人家族だったので、豆腐二丁分が収まる鍋を持参した。すると、豆腐屋が水を湛えた水槽のなかから豆腐二丁を手のひらですくいあげて、私の鍋に入れてくれるのだった。
 帰り道はここで転けたら鍋の豆腐がめちゃめちゃになってしまう、と、一心不乱に歩を進めた。
 また、昼食のおかずは近所の肉屋が店頭で揚げるコロッケの味が絶品だったので、私は正午前になるとよくその肉屋まで家族分のコロッケを買いに走った。
 そこはコロッケとメンチを売っていたが、メンチよりコロッケの方が安かったので、我が家はコロッケ一辺倒だった。
 二年前、七十六歳で逝った姉が、「パワーが欲しい時、コロッケを食べる」と、語っていたが、私も元気が欲しい時にコロッケを食べるのは、たぶん子供時分に食べたコロッケの味が恋しいせいだろう。
 コロッケは肉屋が揚げるものが一番だが、昨今、町から肉屋が姿を消しつつあるのが残念で仕方ない。
    (続く、第80回)