小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第67回)

第67回(7/4)
 姉も私も生活に困ってはいない。殊に自営業の姉はサラリーマンの我が家とは収入が桁違いに多く、姉はよく実家にお金を出していた。
 実家への支援の一番は父を姉の会社の倉庫番として雇ったことだったろう。
 父は電車とバスを乗り継いで片道二時間の道を仕事場まで週に三日通い、一日に四時間勤務した。
 そもそも父が姉の会社で働くようになったのは、母が姉に在宅ざんまいの父を、「親父はいつもうちにいる、うっとおしくてたまらない」と、たびたび訴えたからだ。
 定年後の父は出歩くこともせず、自宅のテレビの前に寝転んでばかりで、母が何か言うと、「うるせぇーっ!」と、一喝した。
 たまらない母は買い物と称してひとりでよく外に出ていたが、口うるさい父が四六時中自宅にいる日々は耐えられないものだったのだろう。
 そこで、父を自宅から出したい母と、収入を得られるなら外に出てもいい父の、双方の気持ちが一致して、父は姉の会社で働くようになったのだった。
 父はその仕事場で八十二歳まで働き続けた。
 八十二歳から他界するまでの二年間はリューマチになった母の手助けをしていたが、なんせ昔気質の父は掃除と洗濯は出来たが、台所仕事はからっきしだめで、ただただ困り果てた父は、母を怒鳴ってうっぷん晴らしをしていたようだった。
 父の死後、ひとり暮らしになった母は、喧嘩ばかりしていた夫婦だったのに、「ひとりで食べるご飯は、つまらない」と、嘆いたのだった。
    (続く、第68回)