小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第56回)

第56回(5/26)
 親が建てた大和の家に無償で住んでいた兄夫婦だったが、父が死去する十年前から借地ながら親の敷地続き、六十坪の土地に三十坪の二階家を新築して、居を大和から保土ヶ谷に移した。
 親としては兄夫婦が自分たちの側にいたら、老後が安心、と、踏んだのだろう。
 父がこう言った。
「四人いれば、そのうちの誰かに何かあった場合、何かと助け合える」
 保土ヶ谷の土地は百坪で、親は四十坪の土地、築八十年の家に住んでいた。が、古い家ながら、物持ちがいい親は年がら年中あちこちを修繕しながら暮らしていた。
 兄に提供した六十坪の土地にはかつて二軒の貸家が建っており、親は二軒分の家賃収入を得ていた。が、親は兄を迎えるために貸家に立ち退き料を払い、家屋を壊して、土地を整備した。
 親はそれらの費用のすべてを負担した。
 しゃれた家を建てた兄だったが、建築費用の頭金は兄夫婦が出したようだが、残りは住宅ローンで、月々の支払いは八万円、と、聞いている。
 そのローンは、親が兄一家が住んでいた大和の家をひとに貸して、兄は死去するまでその賃料八万円をもらい続けたのだった。
 一方、井森家の次女の私は家賃一万円の社宅に十四年間住んで、その間、買いたい物をひたすら我慢して、マイホーム購入の頭金を必死に貯めて、自分たちの力で三LDKのマンションを手に入れた。
 結婚以来、住む場所を親に提供してもらった兄は終生マイホーム購入の苦労を知らなかった。その兄は、倹約に励んでいた若い頃の私に、「おまえは、ケチだ」の、言葉を投げた。
     (続く、第57回)