小説、その2「井森家の記憶」

よろしかったら、読んでください

2021年1月のブログ記事

  • 井森家の記憶(第21回)

    第21回(1/29) (5)姉と私の関係  幼少時代、ひとつ屋根の下で過ごさなかった私たち姉妹は、普通の姉と妹の関係とは少し違っていた、と、思う。  姉との同居は私が小学一年の時からだから、その頃、六歳年上の姉は市電で山手の私立中学校に通っていたので、朝は早く家を出て、帰りは夕方で、小学生の私とは... 続きをみる

    nice! 2
  • 井森家の記憶(第20回)

    第20回(1/26)  父は甘い物を好まなかったうえに歯質が良かったのだろう、八十四歳で没するまで虫歯が一本もなかった。  それにしても井森家の面々は口が悪かった、ことに家族間では遠慮なく、自分が思った通りを口にしたため、言われた方はむっとしてただちに言い返した。  母の晩年は寝たきりだったが、あ... 続きをみる

    nice! 2
  • 井森家の記憶(第19回)

    第19回(1/23)  末っ子の私は母親べったりだったせいか、母がひとに語る話を傍らでよく聞いていた。  ひとたび口を開いた母は、相手が、「へぇーっ! そぉーなんですかぁー、奥さん、苦労したんですねぇー」などと、反応したが最後、我が生い立ちから、自分と祖母との関係、父の悪口等々、相手がその場から立... 続きをみる

    nice! 3
  • 井森家の記憶(第18回)

    第18回(1/19)  だが、井森家の面々、とりわけ母は思ったことをすぐ口に出す癖があった。  母のおしゃべりは相手、時、所かまわず、実際のことよりオーバーにおもしろおかしく話すので、話題にされた家族はたまったもんじゃない。  大方の者は内容によって話す相手を選ぶものだが、母の場合は頭に浮かんだが... 続きをみる

    nice! 2
  • 井森家の記憶(第17回)

    第17回(1/16)  母、ハルは大正8年生まれ、ふたり姉妹だったが、妹が早世したため、子供がひとりとなって、親の面倒をみるしかない立場となった。  実祖父は車夫をしていたが、母が三歳の時、関東大震災の日に桜木町まで人力車を走らせて、そのまま帰らぬひととなった。  再婚した祖母だが、遣り手の方だっ... 続きをみる

    nice! 2
  • 井森家の記憶(第16回)

    第16回(1/13)  2年前に76歳で亡くなった姉は最後まで、「あっちにいる母さん、どうしてるかな?」と、母への思慕の情を口にしていた。  姉はまた母のことを、♪ かあさんがぁ~夜なべをしてぇ~手袋編んでくれたぁ~ ♪通りの母さんだったね、と、言っていた。  大人の都合で七歳から七年間、母親と離... 続きをみる

    nice! 3
  • 井森家の記憶(第16回)

    第16回(1/11)  もっともその教師に限らず、小学校から高校卒業までの十二年間、私は担任の先生がことごとく嫌いだった。が、たったひとり小学四年の担任、「喜びも悲しみも幾年月」の歌手、若山彰に似た先生は好きだった。  私はそもそも勉強と団体生活を強いる学校というものが嫌だった。親が、「学校に行か... 続きをみる

    nice! 2
  • 井森家の記憶(第15回)

    第15回(1/8) そう思う私だが、内心が負けず嫌いの私としてはどんなに頑張っても姉に勝てない自分がもどかしかった。  私たちが姉と妹だということを知られたくない、と、感じた時期があった。それは中学時代の担任教師の台詞、「おい、井森、おまえの姉さんは、おまえと大違いで、頭が良くて美人だってな」を、... 続きをみる

    nice! 2
  • 井森家の記憶(第14回)

    (4)姉、真由子 第14回(1/7)  姉の真由子は昭和18年1月に生まれて、2019年3月に死去した。享年76歳だった。  姉は努力家で頑張り屋だった。努力して努力して、頑張って頑張り抜いて、一生を終えた。その努力と頑張りは見事に実を結び、家庭的にも経済的にも恵まれた人生だった。  姉は四人の男... 続きをみる

    nice! 2
  • 井森家の記憶(第13回)

    第13回(1/3)  貧しいながらも親は三人の子供たちに七五三をやってくれた。  姉の七歳は、玄関の前に立つ着物姿の姉が、不愉快丸出しの顔で白黒写真にうつっている。  五歳の兄と三歳の私は二歳違いのため一緒の七五三で、ふたりともが着物姿で、手をつないで写真に収まっている。  自分の七歳の七五三はよ... 続きをみる

    nice! 2