小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第50回)

第50回(5/8)
 兄嫁の一周忌が済むやいなや、兄に肺がんが見つかった。
「オレと一緒に病院に行って、先生の話を聞いてくれや」
 兄に頼まれた私は指定された日時にY市立病院に赴いた。
 病院に行くと兄の長男、K男も来ていた。
「M子は?」
 兄は子供がふたりいる。長女のM子は兄と同居している。兄一家とあまり親しくなかった私は、兄一家の内情をあまりよく知らない。
 姉とは喧嘩しいしい付き合っていたが、兄と私は、特にお互いが結婚した以後はあまり親しく口を聞いてなかった。
「あんな奴、知らん、どぉーでも、いい」
 そう答えた兄は娘のM子との関係は良くないようだった。
 消化器内科で詳しく検査した結果、女医が兄とK男と私にこう告げた。
「進行性の肺がんです。既に全身に広がってます。余命、半年です」
「そぉー、ですか」
 医師は兄にはっきりと余命を宣告したのだった。
 その日、兄は病院で体重測定をしたのだが、九十九キロもあり、その体躯からとてもがん患者とは思えなかった。
 兄は幼少時代から友達が多く、「まっさん、まっさん」と、慕われており、賑やかなことが好きだった。
 病気とは無縁に見える兄だったが、学齢前は小児喘息だった。両親は井森家の跡取り、長男の兄に甘かったような気がする。
 また、兄は幼い頃に顎にできたイボをとろうと、母が医者に連れて行ったら、医者がラジウムをかけ、それが原因で、兄の顎には十円玉ほどの丸いハンコ状の跡が残ってしまい、その跡は目立ったようだった。
 そして、兄は小学校低学年まで吃音だった。
 そんなこんなで親は兄を不憫に思って、甘やかしたのかもしれない。
 子供時分、親は兄が欲しがる物は買い与えていたが、私が欲しがっても、「文枝は、我慢しなさい!」だった。
 そうやって育てられたせいか、私は我慢強い人間になったような気がする。
  (続く、第51回)