小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第95回)

第95回(11/3)
 兄嫁は40歳の時乳がんになってK大学病院で手術を受けた。手術の日、私は病院に足を運んだが、兄嫁と同じ年、30年前の私は日々の生活を送ることに必死で、乳がんに罹った妻を持つ兄の心境を思いやる心の余裕がなかった。
 乳がんになった兄嫁はそれから再発も転移もなかったが、冬の寒いある日、自宅風呂場で急死した。
 兄嫁が亡くなる一週間前に父の法事があった。その日、集まったのは姉夫婦と兄夫婦、私たち夫婦だった。その日、私は抗がん剤の副作用による末梢神経障害のため足腰が不調で、横浜のお寺までタクシーを利用したのだが、その日の兄嫁はその私以上に足腰の具合が悪く、腰は曲がり、歩行が困難だった。
 久しぶりに兄嫁と会った私は、そのあまりの老い振りに驚いた。
 その日、私は卵巣がんステージ3の手術から4年が経っており、姉と兄、その連れ合いたちと顔を合わせた時、このなかで一番先に逝くのは私だろう、ひとのために黒い服を着るのはこれが最後だ、と、踏んでいた。
  だが、父の法事から一週間後に兄嫁が69歳で急死、その一年後には姉と兄が相次いで病死した。
 そして、あの日、一番先に逝くだろう、と、思っていた私は未だにこの世にいるのだった。
            (続く、第96回)