小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第83回)

第83回(9/3)
 井森家では真夏の晴天の一日、家中の畳を虫干する行事があった。その頃の井森家は平屋で、間取りは六畳の和室ふたつと四畳半と三畳がひとつずつの四部屋だった。
 その日は家族全員が朝早く起きて、部屋にある物を片づけた。
 畳を庭に干してる間は落ち着いての食事が無理なので、母が昼食のため用に家族分のおにぎりを握った。
 手ぬぐいで鉢巻をした父が畳を一枚一枚取り外し、白墨で外した畳の裏とその下の床板に、六の一などと同じ番号を記して、はがした畳が元の位置に戻れるようにした。
 畳と床板の間から古い新聞紙や硬貨が現れたりした。親が硬貨を見つけた私に、埃がついたお金をくれた。
 畳剥がしの次は、板床に現在では使用禁止となっているが、当時は使用が許可されていた殺虫剤DDTの白い粉をまんべんなく撒いた。
 家中の畳を干し終われば、家は味気ない床板敷きとなったが、私自身は日頃と異なる自宅に浮き浮きしたものだった。
 昼食は家族全員でござを敷いた床板の上でおにぎりを頬ばったが、あの頃、近隣の家々の何軒かはカビや虫害を防ぐために畳を太陽の光に当てていた。
 振り返れば、早朝から家中の畳を庭に運んで干す、夕方は畳を強くはたいて、元の位置に収める、という作業を父と母はよくやった、と、今更ながらその力量に感心する。
 父は勤務した日は食事以外はテレビの前に寝転んでいたが、休日の午後は大概古くなってあちこちガタが来てた井森家の内外を修理していた。
 そして、その頃の井森家は風呂を石炭で焚いていたので、裏山から小枝を拾ってきたり、ナタでまきを割っていた。
    (続く、第84回)