小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第26回)

第26回(2/12)
 が、ふた親の死後長男の兄が数年間井森宅の空き家を管理していたのだが、古家の面倒をみきれなくなった兄が、井森宅を手放した。
 今現在、井森家の面々が暮らしていた家は跡形もなく壊されて更地となり、他人さま名義の駐車場となっている。
 その地に井森宅があった唯一の形跡としては、駐車場の端に今も切れ目なく裏山から湧き出る清水が流れこんでいる井戸で、その脇には、『区の災害用水』と記された札が下がっている。
 二年前、七十六歳で病死した姉は生まれ育った保土ヶ谷の井森宅に思慕の念を抱いていたようだが、私はといえば、井森宅よりも生まれて、七歳までいた大和の地と家の方が懐かしさが深い。
 ところで、話を姉と私の関係に戻そう、と、思う。
 姉が父が下した命令によって、午後十一時になると四畳半の私の部屋にやって来て、布団を並べて寝るようになってから、姉と私の距離は急速に縮まった。
 私は父の一言、「おまえは徒歩通学できる公立高校に進め!」によって、近くの二流高校に入学したのだが、そこは普通高校の男女共学で、男生徒と女生徒の数が半々だった。
 我々団塊の世代は人数が多く、ひとクラスが五十名、ひと学年が十クラスだった。
 一年は男女の数が半々のクラスだったが、二、三年生は進路によってクラス分けがあった。
 クラス分けはまず成績上位五十名を集めた選抜クラス、このクラスの生徒たちは大学、それも一流大学目指して猛特訓を受ける者たちで、その甲斐あって私が一年の時、群を抜いて成績が良かった三年生のひとりが現役で東大合格を果たした。
 その時、朝礼で壇上にあがった校長先生が飛び上がらんばかりに喜んで生徒たちに報告したのだった。
 (続く、第27回)