小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第73回)

第73回(7/28)
 結局、兄が承諾したので、父は人工呼吸器をつけることになった。
 医師が言う。
「人工呼吸器装着には井森さんを今夜から睡眠状態にしなければなりまぜん。会わせたい方がおられましたら、早急に連絡願います」
 その日、姉は知人の結婚式に参列していたのだが、急遽、病院にやって来た。待合室には姉と兄夫婦、兄のふたりの子供と私で、二名ずつ集中治療室の父と面会した。
 父は私の声かけがわかったようだったが、「オレ、もぉー生きることに疲れたよ」という表情をして、目を閉じた。
 頑張って頑張って生きた父だった。この世の頑張りがもはや限界だったのかもしれない。
 その夜、薬で昏睡状態になった父は、そのまま荒い息を三週間したあと、この世を去った。
 父が入院中、私は一日おきに父の病院、母がいる実家に通った。
 そんなある日、実家にいた私に兄嫁が縁側の向こうから、「お父さん、お母さんの退院を楽しみにしてたのにこんなことになって」と、告げた。
 父は母が退院して自宅に戻ったその日に救急車で入院し、そのまま帰らぬひとになったのだった。
 兄嫁は口が回る方ではなかった。その代わりといっては何だが、結婚後の兄は兄嫁の分まで多弁になった。
 そして、兄嫁は気が回る方ではなかった。その一方、兄が兄嫁の分まで気を回すようになった。
 私が思うに、兄嫁は兄を頼りきっていたようだった。
 夫婦の仲は傍目ではわからない。
 私には兄夫婦の仲が良かったのか、悪かったのかはわからない。
     (続く、第74回)