小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第92回)

第92回(10/21)
 姉にコンプレックスを抱き続けてきた私だが、それ以上に何をやってもひとより勝る姉を誇りに思っていた。
 何にでも頑張りすぎる姉だった。四人の息子たちの教育、自営の仕事、自分の勉強と、寝る時間を削って、普通のひとの何倍ものことを成した。
 姉宅の経済状態は裕福で、だからこそ四人の息子たちが揃ってK大学を卒業出来たのだろう。
 姉は私と一緒に食事をすると、必ず私の分まで払ってくれた。ある時、姉が開いた財布をき見した私は、万札がぎっしり詰まった財布に、自分の万札一枚入りの財布とは大違い、と、驚嘆した。
 夫がサラリーマンの我が家は日々の糧には困らなかったが、贅沢とは縁がない暮らしだった。
 若い時分は車を所持していた私だったが、もっぱらの移動は自転車か徒歩の私に対して、姉はどこに出かけるのも愛車のベンツだった。
 姉は衣類など身につける物はもっぱらデパートで購入し、中華街には贔屓の店があって、よくそこで姉一族が集まって、食事をしていたようだった。
 姉が横浜の中華街辺りを好むのは、たぶん、中学と高校の六年間、山手の私立女子校に通学していたせいで、あの辺りに精通していたせいだろう。
そのおかげで、姉は私に元町の近沢レース、キタムラのバッグなどを贈ってくれた。
 とにもかくにも姉は国内外を問わず、高価なブランド品を好んだので、我が家には姉が寄こしたリヤドの陶器人形、コペンハーゲンのコーヒー茶碗があったりする。
 ブランド品とは縁のない私だが、姉が時折贈ってくれたブランド品の数々で、上等な物が少しはわかったような気がする。
 人間、知らないよりは、知っている方がいい。私は財力がある姉のおかげで貧乏人では知りえなかったことを教えてもらったのだった。
         (続く、第93回)