小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第87回)

第87回(9/22)
 結局、姉は高卒後24歳でS電気工事会社の社長と結婚して、次々と四人の男の子を設けた。
 結婚後の姉は自分の能力を最大限発揮した。嫁ぎ先の会社の経理を担当して、従業員を
100名まで増やし、夫がサラリーマンの我が家とは桁違いの収入で豊かな生活を営んだ。
 そして、母の老後はといえば、日中はひんぱんに買い物がてらひとりであちこちに出かけていた。
 その母がリューマチを発症したのは75歳の時だった。
母の話では、墓参りに行ってハサミで墓の太い枝を切ったのだが、それから腕が腫れて痛くなったという。
 その原因はリューマチだったのだが、今までの井森家にはリューマチになった者がいなかったので、母は一、二年その腫れと痛みを騙し騙しながら日々を送ったらしい。
 らしいというのは、その時期、我が家は特別老人ホームに入居中の義母と、老人病院に入院中の義父を抱えており、長男の嫁の私は義父母のことで精一杯で、実家の父母のことまで頭が回らなかったからだった。
 が、母はリューマチを患いつつも、八十歳まで父の世話をして、老夫婦ふたり暮らしの生活を支えた。
 母は妹がひとりいたが、残念ながら早世してしまい、兄弟がいない母の老後の楽しみは、たぶん時折核家族の我が家を訪れることだったと思う。
 思えば、子育て中の若い日の私もよく保土ヶ谷の実家に足を運んだ。
    (続く、第88回)