小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第62回)

第62回(6/17)   
 兄一家が大和に住んでいた頃、私は一度だけ兄宅を訪問したことがあった。
 二階建てで、二階は和室がふた間、一階は六畳の和室とキッチンだった。
 一階の和室が茶の間になっており、炬燵が据えてあったが、ほつれた炬燵布団から綿がはみ出ていた。
 炬燵には顔だけ出した娘、M子が潜っていた。確か、あの時のM子は小学校高学年だったが、叔母の私が茶の間に腰を落としても、起き上がって、「こんにちは」の挨拶もなく、炬燵に寝転んだままで、「トンビがタカを生んだ」と、兄嫁に向かってそんな言葉を吐いた。
 普通の母親なら、そんな時、子供に、「何、その口と態度は! 起き上がって、おばさんに挨拶しなさい!」と、諭すだろうが、トンビと言われた兄嫁は、自分をタカ(すぐれた子供)と思ってる娘に何の注意もしなかった。
 私が娘M子の子供時代と接したのは、その一回だけだった。
 もちろん、親戚の冠婚葬祭で何回かM子と顔を合わせてはいたが、M子は常に兄嫁の後ろに隠れており、私と親しく口を聞くことはなかった。
 そして、兄嫁はといえば、井森家の冠婚葬祭の時は兄にぴったりとついており、兄嫁側の時は自分の親戚筋にぴったりとついており、で、私とはあまり話をしなかった。
 話を大和の兄宅に戻せば、台所の流しには汚れた三角コーナーとぬるぬるした布巾があった。
 一階から二階へ上がる階段の両脇にはいただき物らしい包装したままの箱が多数置いてあり、その箱たちはほこりをかぶっていた。
 私は兄嫁が家事を不得意になったのは、三十年前に乳がんになった時からだとばかり思っていたが、顧みれば、私があの日、大和を訪れた時の兄嫁はまだ乳がんの手術をしていなかった。
    (続く、第63回)