小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第12回)

第12回(12/31)
 会社員の父の収入で祖父母宅の経済的援助をしていたようで、カレーは肉の代わりに竹輪だったが、戦後、間もないあの頃は近所の家々も我が家と似たりよったりの生活だったし、今日食べる物に困ることはなかった。
 貧乏ながらも親は兄を幼稚園に入れたが、兄は今でいう登園拒否を起こして、どんなに母が幼稚園に送り届けても、ひとりで帰ってきてしまい、ついに母は兄を幼稚園に通わせることを諦めた。
 兄より二歳下の私はといえば、兄のように親に逆らう勇気もなく、嫌々ながら一年保育の幼稚園に通った。
 幼稚園の昼食は母手作りの弁当だったが、母が料理下手のうえに、周囲の園児たちのご飯は白いのに、我が家のご飯は麦を混ぜた黒いご飯だったので、弁当の時間が嫌だった。
 幼稚園時代の私は引っ込み思案で、劇の主役に選ばれたことがあるのだが、主役をやるのが恥ずかしくて、先生と親に泣きついて、目立たないその他大勢のヒヨコ役に変えてもらった。
 同じ親から生まれた子供でも、私は人前に出るのが苦手だが、六歳上の姉は人前に出るのが好きで、目立ちたがり屋のけがあった。
 我が兄弟は姉と兄と私と三人だが、最初に生まれた姉と、長男の兄の存在は親戚中に知れているが、次女の私の存在は親戚中に知られていないらしく、父の葬儀の時、山梨県に済む父の親戚たちが焼香に訪れてくれたのだが、挨拶をする私に、「井森さんちに子供が三人いたとは! 真由子ちゃん(姉)と正樹ちゃん、二人だけかと!」と。
  (続く、第13回)