小説、その2「井森家の記憶」

よろしかったら、読んでください

井森家の記憶(第8回)

第8回(12/16) 
 父は現在は千葉に移転しているが、かつては横浜市西区にあった古河電気工業の工場に勤めていた。残業の日は会社から菓子パン二個が提供され、帰宅した父は、「はい、おみやげ」と、ジャムパン一個ずつを兄と私に寄こした。工場のにおいがしたそのジャムパンの味は、数年前にロシアに旅した時、ピロシキを食したのだが、父のおみやげのジャムパンと似ていた。
 父は山梨県秋山村出身で、農家の次男坊だった。農業はおてのものだったので、近くに畑を借りて、会社勤めの傍ら野菜を作っていた。
 ある日、父が借りてきたリヤカーの荷台に乗せてもらった私は、父と一緒に畑に行った。今でこそ高いビルが立ち並ぶ街になった大和市だが、あの頃は高い建物がなく、遠くまで見渡せた。リヤカーのひととなった私は、正面にそびえる大山に目をやりながら、幼稚園で習った歌、「♪遠いぃ~山のぉ~向こうぅ~の知らなぁ~い町よぉ~、いぃ~つかぁー馬車に乗って行きたい町よぉー」を口ずさみ、山の向こうの町に思いをめぐらせた。
 そんな日々だったが、時折、母は兄と私を電車に乗せて、知らない家に連れて行った。
 その家は祖父母と姉の三人が住んでる家だったが、幼い私はその家が何なのかを知るよしもなかった。
 祖母は関東大震災で連れ合いを亡くしていたが、その頃は再婚していた。
 やがてその横浜の家に私たち、父と母と兄と私が同居して、七人家族となるのだが、祖父母と父、父と姉は折り合いが悪く、家のなかは年中ぴりぴり状態だった。
 七人家族になったとたん、それまでの親子四人の平和な暮らしが一変して、争いが絶えない暮らしとなったのだった。
  (続く、第8回)