小説、その2「井森家の記憶」

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2021年4月のブログ記事

  • 井森家の記憶(第47回)

    第47回(4/29)  そうなった原因は母の妊娠中に父が戦地に赴き、父が三年後に自宅に戻れば、姉は三歳になっており、「このひと、だぁーれ?」と、懐かなかったことから始まったのだと思う。  子供は三歳までが一番かわいい時期で、その時、姉と離れていた父、姉を可愛がっていた祖父母、の確執が井森家の争いと... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第46回)

    第46回(4/27)  概して、昔の男は気位が高い、とりわけ井森家の父は、「このオレ様が大黒柱だ、このオレ様の稼ぎが家族を食わせてやってるんだ!」が、服を着ているようで、「家族の者ども、このオレ様に従え!」という威張り屋だった。  次女の私はそんな父が怖くて逆らう体力も気力もなく、父の言いなりだっ... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第45回)

    第45回(4/23)  リューマチに加えて加齢のため膝が悪くなった母は、八十歳を過ぎて左右の膝に人工関節置換術を受けた。  手術は片足ずつだったので、確か一回の入院が三週間程度だったと思う。  母がその手術をしたのは、今から二十年も前のことなので、現在の膝関節置換術の入院期間はもっと短いだろう。母... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第44回)

    第44回(4/19)  関節リューマチになった母は徐々に家事が難しくなってきた。八十八歳まで生きたが、八十歳までは何とか家事をこなしていた。  顧みれば、母の具合がより一層悪化したのは、二歳上の父が八十二歳で姉の会社を退職して、それまで週に三日、保土ヶ谷から横須賀線で横浜、横浜から相鉄線で海老名、... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第43回)

    第43回(4/17)    父が罹患した病気、膠原病といえば母も七十五歳から膠原病の一種、関節リューマチになり、身体のあちこちを痛がり、思い通りに動けない我が身に悶々としていた。  関節リューマチは筋肉や関節に痛みと炎症が多発し、それが身体の各部に流れていく病気で、徐々に骨が溶けてしまうらしい。 ... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第42回)

    (7)井森家の者たちの病気 第42回(4/14)  父は八十二歳まで姉の会社で働いて、八十四歳で他界した。  最後は肺炎と脳梗塞と腎不全みっつの病気を同時発症し、救急車で三ツ境の聖マリアンナ病院に運ばれて、三週間を人工呼吸器をつけた状態で集中治療室で過ごした末に息を引きとった。  八十過ぎまで生き... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第41回)

    第41回(4/10)  秋山村をおいとまする時が来た。帰る際、父の生家を始めとしてあちこちの親類がたくさんのおみやげを寄こしてくれた。  なかでも秋山村の名物、手作りの酒まんじゅうは、市販の饅頭の数倍の大きさで、少々塩味がする餡とかための皮は、そんじょそこらにはない素朴さを味わえる。  畑でとれた... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第40回)

    第40回(4/6)  炭焼き小屋見物のあとはいったん父の里に戻って、叔母がお昼にと用意してくれたおむすびを忠男が自分用の背負い籠に入れて、反対側の山へ向かった。  先頭は忠男、兄と私が後に続いた。  五月上旬であった、静かな山道を歩いていると、ホッホケキョーの声が辺り一面に響いた。  その時、私は... 続きをみる

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  • 井森家の記憶(第39回)

    第39回(4/2)    父の秋山村への里帰り、一泊目は、中央本線の上野原で途中下車して、駅の近くに住む父の妹の家に泊まった。  翌日、父の里に到着したのだが、夕食の一番のご馳走は、子供たちの末の子、小学一年生の忠男が飼い鶏の一羽の首を絞めて、その鶏肉をメインにしての鍋料理だった。あの頃、秋山村に... 続きをみる

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