小説、その2「井森家の記憶」

よろしかったら、読んでください

井森家の記憶(第37回)

第37回(3/25)
 秋山村の農家に生まれた父は成績が優秀で、小学校の卒業時、教師から上の学校に進むように勧められたが、家が貧しくて、学歴は高等小学校卒だった。
 卒業後は横浜の古河電工に入社するまで、様々な仕事をしていたらしい。
 横浜まで出てきた父だが、父が若い頃、交通網は発達しておらず、横浜へは三つ峠を越えて歩く脚力が必要だった。
 山奥の農家で育った父の大好物はカラ付きの南京豆と干し芋だった。
 料理が出来ない父は結婚するまで外で食べるしかなかったのだが、結婚後は、「外食は嫌だ、何でもいいから家で作ってくれ」と、特別な行事以外は母の手料理を食べていた。
 その父に食事を作る母は、掃除と洗濯は好きだったが、料理は大嫌い! で、好きこそ物の上手なれ、の、反対で、嫌いこそ物の下手なれ、で、お世辞にも母の料理は上手とは言えなかった。
 父は母が作った食事を、「おまえはほんとに料理が下手だ!」と、文句を垂れながら、毎食平らげていた。
(続く、第38回)