小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第38回)

第38回(3/28)
 料理のセンスが欠ける母が作るお弁当は、ご飯の上に焼きサンマが一匹、などと、ひとに見られたくない日もあった。高校生以後の私は自分のお弁当は自分で作るようになった。
 母が料理嫌いの原因のひとつに井森家の台所が狭くて使い勝手が悪かったこともあったと思う。
 井森家の大きな出費の決定は父がしていたので、台所仕事と無縁な父としては調理場を使い勝手がいいようにしよう、という気が起きなかったのかもしれない。
 話が逸れてしまったが、父が生まれて育った秋山村の話に戻そう、と思う。
 父の生家は父の兄夫婦が継いでおり、私にとっていとこに当たる子供たちは四人いた。
 若い時分は上原謙に似ていたらしい父だったが、四人の子供たちは揃って美形のうえに働き者で、家の仕事を当たり前に担っていた。
 父の生家、杉山宅は背後が山、前はバスが通れる道幅の道路で、道路の向こうは川だった。
 玄関を入ると土間、奥は台所で、竈があった。
 土間を上がると囲炉裏を設えた板敷きの部屋、畳敷きの部屋は十畳ほどの部屋が四つあった。
 屋根裏部屋があり、以前はそこで蚕を飼っていた。
 屋根は藁ぶきで、庭に汲み上げ式の井戸があった。
 便所は外で、戸は上方がない簡素な板作り、用足しの際に腰を落とせば外から我が身が隠れるが、立ち上がった時は外から上半身が丸見えだった。
 軒下に吊るした長い竿には、干し柿が垂れ下がっていた。
 川は急流で澄んでおり、見渡す限り、庭石にしたらさぞかし生えるだろう丸い石がごろごろしていた。
 川の淀みにはおたまじゃくしたちがいて、カエルになる日を待ち構えていた。
 (続く、第39回)