小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第23回)

第23回(2/3)
 五十メートル徒競走ではいつもビリか、ビリから二番だった私は、芯は負けず嫌いなのだろう、気持ちはすぐ先を走る者を追い抜こうとするのだが、懸命に足を動かしても、すぐ先を走る者を抜けなかった。
 年に一度の秋の運動会は母が見学に来た。その日、夕食時の話題はかけっこでどんじりだった私のことで、母の話を聞く井森家全員が私を笑ったので、運動会の日が一年で一番嫌な日だった。
 だが、教室では劣等生の者が、こと運動会となると、俊足振りを発揮して、生徒や父兄たちから称賛を浴びていたりした。
 足が遅い私は運動会で注目を浴びる足が早い者が心底ねたましかった。
 運動神経の良い悪いは生まれつきなもので、ほんの少しの努力でひとより勝る者がいるし、いくら努力してもひとより劣る者がいる。
 姉の運動神経はどうだったのだろうか?
 私の小学時代の六年間、六歳上の姉は中学と高校生で、一緒に遊んだ覚えがないので、私ができなかった、逆上がりとか、二重飛びとか、跳び箱とか、についてはわからないが、学生時代の姉の写真のなかに平均台の上でポーズをとっているのがあったので、たぶんそこそこの運動神経だったのだろう。
 勉強一途な姉と人見知りが激しかった私は、ひとつ屋根の下に住んでいたにもかかわらず、同居後の数年間は親しく口を聞くことはなかった。
 そのふたりが口を聞くようになったのは、姉が社会人、私が高校生になった頃からだった。      (続く、第24回)