小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第13回)

第13回(1/3)
 貧しいながらも親は三人の子供たちに七五三をやってくれた。
 姉の七歳は、玄関の前に立つ着物姿の姉が、不愉快丸出しの顔で白黒写真にうつっている。
 五歳の兄と三歳の私は二歳違いのため一緒の七五三で、ふたりともが着物姿で、手をつないで写真に収まっている。
 自分の七歳の七五三はよく覚えている。
 髪飾りをつけたおかっぱ頭、きれいな着物、草履姿の私は、母に近所の家々に連れていかれ、「文枝ちゃん、かわいいねぇー」と、口々に言われたあと、母と近くの神社まで行ったのだが、恥ずかしがり屋の私は、派手な衣装を身に着けて道を歩くのが嫌でたまらなかった。
 大人になった私に母が、「七五三の時の文枝、とっても可愛かった」と、告げたのだが、その時の写真を見ると、なるほど自分で言うのもなんだが、着物姿の私は可愛かった。
 子供時代の私は醜いアヒルの子だったのかもしれない。なぜなら、物心ついてから小学六年生までは、七五三の時以外、ひとに「かわいい」と、言われたことがなかったのだが、中学に入学したとたん、何だか知らないが、男の子にもてるようになったからだ。
 私のもて期は結婚する二十一歳まで続いた。
 もて期時代の私は、山に登れば若い男に声をかけられ、某会に出席すれば、で、男の存在がうっとうしくてたまらなかった。それが結婚したとたん、所帯の苦労から容貌が衰えてしまい、完全なるおばさんの姿となった。
 そんな私は、林芙美子の「花の命は短くて、苦しきことのみ大かりき」に、大いに共感する。
 (続く、第14回)