小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第39回)

第39回(4/2)  
 父の秋山村への里帰り、一泊目は、中央本線の上野原で途中下車して、駅の近くに住む父の妹の家に泊まった。
 翌日、父の里に到着したのだが、夕食の一番のご馳走は、子供たちの末の子、小学一年生の忠男が飼い鶏の一羽の首を絞めて、その鶏肉をメインにしての鍋料理だった。あの頃、秋山村にとって来客への最高の持て成しは鶏肉をふるまうことだった
 忠男が私の目の前で鶏を絞めたのだが、首をとられた鶏が、首なしで数歩前に歩いたのには仰天した。
 忠男は紐で吊るした鶏の首を、気味が悪い素振りも見せず、鶏の首をぐるぐる回していた。
 茶碗にてんこ盛りによそってくれたご飯は、ひじょうに美味しかった。
 翌日の午前中は忠男が裏山を案内してくれた。
 さほど広くない平地に着いた時、忠男が、「文枝ちゃん、ここにある石を踏んじゃ、いけないよ」と、真面目な顔で告げたので、「なぜ?」と、聞くと、「ここは墓地で、この石たちは墓石だから」と、教えてくれた。
 秋山村は今では火葬になったが、あの当時は土葬で、村の男衆たちがこぞって棺桶ごと埋められる穴を掘って、そこに死者を埋葬する。
 なかには埋葬して盛り上がった土の上に、祠をのせた立派な墓もあったりするのだが、ほとんどの墓は三十センチほどの丸い石をぽん置くだけだった。
 次に忠男が案内してくれた所は、谷川を渡った向こう、炭焼き小屋だった。
「山は有っても、山なし県」と、叔父(父の兄)が笑ったが、秋山村はあっちを見ても、こっちを見ても山また山だった。
 秋山村の者たちは、その山ばかりの土地で段々畑を耕し、野菜や米を作っていたのだった。(続く、第40回)