小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第77回)

第77回(8/13)   
 主婦は自宅が職場で、家にいる限り次から次へと仕事が見つかって、気が休まらない。 主婦の仕事はいくらやっても評価されず、賃金も得られない。
 母の口癖は家の仕事は張り合いがない、だった。そんな母の張り合いは、ネッカチーフの縁をかがる内職だった。ミシンを使用せず、手縫いで四方の縁を縫うスカーフは横浜独特のものらしかった。
 母はその内職を毎日午前十時から、午後五時までやっていた。仕事場は茶の間の隣室、六畳和室の隅で、畳の上に座って、ラジオに耳を傾けながら、手先は針を動かしていた。
 針といえば、母は縫い物が好きで、夏は子供たちの浴衣を手縫いしてくれた。
 そして、一日置きに買い物と称して日中の三、四時間は内職を中断して外に出た。
 内職の手間賃は安かったが、母は我が手で得た収入で自分の好きな物を買えることが喜びだったのだろう、月に二度の手間賃支払日を楽しみにしていた。
 手間賃を得ると、母は私を買い物に誘った。行く先は大概自宅から徒歩三十分、相鉄線天王町近くの松原商店街だった。
 途中、天王町駅近くの月賦払いの店、みどり屋や丸たんに寄って、私の服を買ってくれた。
 その後は安くて商品が豊富な松原商店街で、七人家族の食料品を買い込むのだった。
 松原商店街の鮮魚店は店頭でマグロ解体ショーをやっていた。母と私はしばし見物をしてから、威勢がいい兄ちゃんにマグロの切り身を包んでもらった。
 夏はスイカが大好物だった兄のため、重いスイカを自宅まで持ち帰った。
 スイカを冷やすのは清水が注いでる井森家の井戸だった。
 夏の井戸には決まってスイカとトマトが浮かんでいた。
    (続く、第78回)