小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第30回)

第30回(3/2) 
 高校時代の私は学校の勉強は落第点をとらない程度で、読書とJRC活動に明け暮れた。
 学校には図書館司書の先生が主催する読書会があった。ひょんなきっかけから読書会のメンバーになった私は、そこで自分でいうのも何だが、たちまち存在価値を認められる者となった。
 勉強もダメ、運動もダメな私は、クラスではまったく目立たない存在だった。自分の価値をクラスで見いだせなかった私だったが、読書会では、我、正にここにあり、で、遠藤周作の『沈黙』の感想を述べる私に、メンバーたちが熱心に耳を傾けてくれた。
 そんな折り、夏休みの宿題で原稿用紙五枚程度の読書感想文が課された。
 当時の私はヘルマン・ヘッセの『車輪の下』の主人公と同じような心境だったので、そんなことを綴ったと思う。
 その感想文が校内読書感想文コンクールで第一位となった。朝礼の時、全校生徒たちの視線を一身に浴びて、壇上のひとになった私は、校長先生から直々に賞状をうけとったのだが、その時の誇らしい気持ちは今でも鮮明に覚えている。
 劣等感の塊の私だったが、その時から少しは自分に自信が持てるようになってきた。
 読書会は毎週土曜日の午後、二十名ほどの生徒たちの集まりだったのだが、そこでの私は自分の意見が認められて、今正にここにいる自分を感じることができた。
 また、自分では不可解なのだが、私のどこがいいのか、JRCでの私は部員の男子生徒たちにもてたし、古河電工時代も男子社員たちにちやほやされた。
 古河電工時代は男子社員たちから夕食の誘いが連日のようにあり、毎晩のように横浜駅周辺や伊勢佐木町で、飲んで食べて、語らう、楽しい時間を過ごした。
 振り返れば、高校時代の三年とOL時代の三年、たった計六年間が私の花が咲いた時期だった。
 その花は結婚したとたん、見事に枯れて、私の顔と体形は完全なるおばさん化したのだった。
      (続く、第31回)