小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第88回)

第88回(10/3)
思えば、「井森家の記憶」を書き始めたのは去年の11月だった。
 書いているうちに、コロナが収まる時まで、たぶん半年先まで、と、思うようになったが、一向にコロナが収まる気配がない。
 高齢者の私はコロナ感染が怖くて、不特定多数の者たちと遭遇する公共の乗り物、電車やバスでの外出を極力避けている。
 このコロナ渦での私の行き先といえば、自転車か徒歩で行ける範囲のスーパー、ドラッグストアー、ホームセンター、そして、病院だった。
 井森家のお墓は横浜なので、新規感染者数が圧倒的に多い横浜にはなかなか足が向かない。
 加えて、今年の夏は酷暑のうえ、大雨が続いたのでより一層足が向かなかったが、過日の秋のお彼岸は春のお彼岸以来半年ぶりに実家の墓参りに詣でた。
 昨今の私は実家の墓にひとりで参る気になれなくなってしまい、夫に同伴をお願いしている。
 過日の墓参りの日はまだ真夏の暑さで、墓掃除をした我々は汗だくとなったが、井森家代々の墓をきれいにして、花と線香を供えると、実に壮快な気分となった。
 墓石の下では井森家の人々が現生の恨み辛みのすべてを消し去って、笑顔で家族の団らんを楽しんでいるようだった。
 だからこそ、墓に参じた私が充足感に満たされたのだろう。
 人間は誰もが早かれ遅かれ、この世から去っていく。
    (続く、第89回)