小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第53回)

第53回(5/16)
 兄嫁は40歳の時に乳がんに罹患して、北里大学病院で手術を受けた。
 後日、兄はその時のことをこう述べている。
「ふたりの子供はまだ小学生だった、どぉーしていいのか、途方に暮れた」
 その時、私は兄と同じくふたりの小学生の子供がいたので、我が日常を営むことで精一杯だったので、連れ合いがガンになった兄の心情を汲む余裕がなかった。
 兄嫁が乳ガンになった三十年前、ガンは今ほど世間に知れ渡っている病気ではなく、また、私自身がまだ若かったせいか、兄嫁がガン、と、聞いても、あまり私の心に届かなかった。
 その後、兄嫁はガンの再発も転移もなく、六十九歳で自宅風呂場で溺死するまで、足腰は相当悪かったようだが、内臓のどこかに異常有り、という話は聞かなかった。
 食べることが好きだった兄は結婚以後、美食家への道を進み、移動は車、食べたい物を食べたいだけのようで、肺がんがわかった時、七十二歳時の体重は九十九キロもあり、亡くなるその時まで体重減はあまりなかった。
 肺ガンになる前の兄は、痛風の薬を飲み、腎臓と肺が少し悪かったようだが、私自身は兄が肺ガンになる五年前にステージ三の卵巣ガンになっていたので、自分の身体のお守りと我が暮らしを営むことに精一杯で、兄のことどころではなかった。
    (続く、第54回)