小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第25回)

第25回(2/8)
 もっとも姉と口を聞くきっかけになったのは、父の姉への厳命、「おまえ、今夜から文枝と同じ部屋で寝ろ!」が、あったからで、姉が午後十一時になると、四畳半の私の部屋にやって来て、同じ部屋で休むようになったからだ。
 姉と私は四畳半をカーテンで仕切って、かろうじてお互いのプライバシーを守った。
 その数年前、井森家は増築工事をしており、中学生になった兄と私はそれぞれの自室を与えられていた。
 増築前の井森家の住宅事情は平屋の四部屋で、玄関を入ると廊下が延びており、その廊下を境に、右側に六畳と三畳、左側に六畳と四畳半だった。
 右側のふた部屋は、祖父母と姉、左側の六畳は父と母と兄と私の寝室、四畳半は茶の間だった。だが、兄と私の成長につれて、六畳に親子四人は狭くなったので、自宅の裏に三Kの二階建てを増築したのだった。
 増築した家は、二階のふた間が兄と私の部屋、一階はトイレと台所付きの一Kだったのだが、その部屋はひとに貸して、家賃収入を得ていた。
 家賃収入といえば、親は七年間住んでいた大和の家もひとに貸していた。
 あの当時、井森家は自宅の地続きに建てた二軒の長屋からも家賃収入を得ていた。
 井森家は横浜駅から横須賀線でひと駅、保土ヶ谷駅から徒歩十分の好立地にあった。
考えてみれば、けっこうな家持ちだったのだ。
   (続く、第26回)