小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第52回)

第52回(5/14)
 二十一歳で結婚して井森家を出た私は、それから実家には足繁く通ったが、会社員の兄とあまり会う機会がなかった。
 兄の結婚は私が長男を妊娠中の時だった。相手は私と同じ年で、父が同じ職場に勤務していた事務員の彼女をいたく気に入り、父が兄にその彼女との結婚を勧めたので、兄が、「あぁー、いいよ」と、承諾したのだった。
 父は退職金でかつて我々が住んでいた、長い間、ひとに貸していた大和の家を二DKの二階建てに改築して、新婚の兄夫婦に住まわせた。
 退職金は長年の父の働きによって得られたものだが、父は兄夫婦の新居建設にあたっては、母にひと事も言わずにひとりで決めたので、母はずっと、「退職金を正樹夫婦の住まいに使われた。あたしには何もしてくれなかった」と、父に恨み言を吐き続けた。
 父は兄嫁を我が息子の嫁としたのだが、家族には鬼の形相の父だったが、兄嫁を見る目尻は下がっていた、と、思う。
 兄夫婦に第一子が誕生した折りには、日頃は出不精な父がひとりで兄嫁がいる兄宅に出向いて、赤ん坊を風呂に入れたらしい。
 その後、父の足が兄宅に向かうと、母はなぜか私の家に足を運んで、私の手に小遣いを握らせた。
 私はひとがくれるという物は何でもいただく主義なので、母がよこしたお金は有難く頂戴して、そのお金はせっせと郵便局に貯金した。
 まったくもって、父の兄嫁への思い入れは相当なものだった。
 母が兄嫁のことを少しでも悪く言おうものなら、父は、「余計なことを、言うな!」と、母を怒鳴りつけたので、母は兄嫁をしつけ損ねた。
 かくして、「あたしは家事が大嫌いです!」と、のたまう兄嫁が出来上がってしまったのだった。
      (続く、第53回)