小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第11回)

第11回( 12 /29)
 母の体内にいた私は、大和駅近くに貸りたお宅の離れ、物置で生まれた。
 ひと部屋に父と母、兄と私の四名暮らしはすぐに終わりを告げることができた。大和駅より徒歩十分の地に大規模な県営住宅が建ち、抽選に当たり、そこに住むことができたのだ。幼かった私にはその二軒長屋の文化住宅が遠い遠い向こうまで続いていたように思えたので、県営住宅の敷地内を隅から隅まで歩けなかった。
 背中合わせの二軒長屋だったが、今では一軒ずつの家となって、四十坪の土地に各々が建て替えた住宅が数多く建っている。
 県営住宅の近くに米軍基地があった。ある日、停めたトラックから降りた米兵が醤油をラッパ飲みしているのを目にした私は驚愕したのだが、あとから思えば、あの醤油色をした液体はあの当時、まだ日本には広まっていなかったコカコーラーだった。
 我が家から至近距離に児童公園があったのだが、クリスマス時期になると、米兵たちがそこにテントを張って、イエス・キリスト誕生の芝居を披露してくれた。
 町内には米兵相手の売春婦、通称パンパンがいて、時折、母が兄と私を連れて銭湯に行ったのだが、「開店早々に行かないと、遅くなったら、お湯がパンパンで汚れるから」
 と、午後三時の早い時間に銭湯に行った。
 経済的には責任感がひと一倍強い父は、祖父母に姉の養育費と生活費の援助をしていたらしい。
(続く、第12回)