小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第57回)

第57回(5/31)
 親は長男の兄を大事にし、可愛がりすぎたのかもしれない。
 二十年前に父が、その六年後に母が他界し、で、空き家となった親の家を兄が数年間管理していたが、ある日、兄が、「これ以上、親の家を維持できない」と、親の家を売った。
 その時、姉が私の耳に、「親の家は借地権があった、正樹は家を売ったお金をもらったにちがいない」と、囁いたが、姉も私も生活に困っているわけではないので、実家売却の件については兄弟間で話がこじれることはなかった。
 父は無駄遣いをせず、お金を貯めることが趣味のようなひとだったが、その息子の兄は父とは正反対だった、と、思う。
 親の家から徒歩一分の所に住んでいた兄一家だったが、兄嫁は母に、「正樹さん、金遣いが荒い、困ってる」と、嘆いていたらしく、母は月々兄嫁に三万円を渡していたらしい。
 兄嫁は親の隣家に住み始めてからパートに出かけたのだが、「何の、仕事してるの?」と、聞いた私に、「スーパーの裏方、鮮魚の仕事、寒い所で魚を運んでる」と、答えた。
 その後、兄嫁の腰が悪化し始めたのだが、私が思うに、その原因は鮮魚のパートだったという気がする。
 親の援助によって住宅ローンはない、兄は金遣いが少々荒いかもしれないが、きちんとした会社に勤めている。
 兄嫁がパートに出た理由は、たぶん、親の側に一日中いるのが嫌だったからだろう。
 ならば、井森家の嫁として妻の権限で兄を制し、節約に励み、家の内外をこざっぱりさせ、習い事にでも出かければよかっただろう。
 井森家の婿養子になった父は、頑張って、踏ん張って、家作を増やした。
 そして今、ふた親も姉も兄も亡くなり、井森家の歴史を知るたったひとりの者となった私は、繁栄の道へと進まなかった我が実家、井森家が残念でならない。
    (続く、第58回)