小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第22回)

第22回(2/1)
 が、私は思う。
 頭脳明晰だった姉のこと、あの時、東京大学を受験していたら、たぶん東大生になっていただろう。しかし、父の猛反対にあった姉は、第一銀行に就職した。
 まったくもって、同じ親から生まれたというのに、姉の脳みそと私のは格段の差があった。
 子供時分、姉と兄と私の三人でトランプの神経衰弱をやったことがあるが、そのゲームはすべてのカードを裏返して、一枚のカードを表に返す、それと同じ記号、数字のカードを裏返したカードから選ぶものなのだが、姉はひとたびめくったカードの位置を頭のなかにしっかりと覚えており、自分がめくる順番が来たら、いとも容易に同じ記号、数字のカードをめくった。
 記憶力がいい姉は、神経衰弱ゲームの達人だった。
 その姉に比べて我が脳みそは自分がめくったカードを裏返したとたん、その記号数字を忘れてしまい、で、やれば負ける神経衰弱ゲームが大嫌いだった。
 人間、努力が報われれば、俄然やる気が出てくる、姉の場合は報われものが勉強だったのだろう。
 ただ井森家には懸命に努力しても、報われない、あぁー無情なことがあった。それは運動神経が鈍かったことだ。
 小学時代の通信簿はオール三だった私だが、中学時代は高校受験を意識して、勉強するようになり、平均すれば四となった。
 平均と記すのは、国語と英語は得意で五だったのだが、体育は実技が劣って、三の成績だったからだ。
 (続く、第23回)