小説、その2「井森家の記憶」

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古希の三人娘(第6回)

第6回(11/ 11)
 昭夫と春子は結婚してから来年で五十年になる。世間では五十年だと金婚式でお祝いをするそうだが、春子は絶対に金婚式のお祝いなどしない、と、誓っている。
 なぜなら昭夫との結婚生活はただ長かっただけで、その間、ただわけもなく、五十年という年が惰性で続いてきただけで、春子はこの五十年を別にめでたいとも思わないので、めでたいと思わないお祝いをあえてすることはなかろう、と、思うからである。
 そう思う春子の心情は、現在の我が気持ちに正直に従う、だ。
 気が進まない行事などしたところで、お金と時間の無駄で、何がうれしかろう。
 自宅リビングにいる春子は冷蔵庫を開けると、赤ワインを取り出して、冷えたワインをグラスに注いだ。
 明枝の告別式でオードブルとビール、それとお寿司を食したが、棺に納められた明枝と対面したあとでは、飲み物も食べ物も味がわからなかった。
 死者となった明枝はきれいに化粧が施されており、その顔はまるで生きているようで、今にも起き上がって、「あたしのために、わざわざ来てくれてありがとう」と、赤い唇を動かしそうだった。
「明枝、最期まできれいだったね」
「長い間、友達でいてくれてありがとう」
「残されたあたしたち三人、息が止まる寸前まで明枝のことを忘れないからね」
 夏央に続いて富由美、春子が目を赤くして、鼻水を啜りつつ、明枝と最期のお別れをした。
 ワインをちびちび喉に流しこむ春子は、むろん、明枝は平均寿命まで生きられなかった自分が無念だったろうが、残された者たちも明枝が逝って無念で、寂しくてたまらない、と、溢れでた涙をティッシュで拭う。
 だが、次の瞬間、生きてる者は死ぬその時まで生きなければならない、と、意を強くする。
 そして、そうだ!
 明日は娘たちが婿と孫とともに、我が家にやって来る日曜日だ、生きており、頭と体が動く限りは、やって来る娘たち一家のために、親として子供に何かしてあげねばならぬ、
 ひとたび子供を生んだからには、親は自分が生きてる限り親業から卒業ができない。
 春子の母の最後は寝たきりになったのだが、病床にいる母の様子をみに病院に行けば、帰り際の春子に、母がベッドから、「気をつけて、帰りな」と、春子の身を案じた。
(続く、第7回)