小説、その2「井森家の記憶」

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古希の三人娘(第4回)

第4回(11/6)


「ねぇーねぇー、明枝の息子さん、近いうちにニューヨークに転勤だそうよ」
「それって、誰に聞いたの?」
 真央の話が寝耳に水だったので、春子は問いた。
 明枝と真央は同じ年の息子がいるので、彼女たちは息子たちが幼少の頃は、お互いの家を行き来していたのだが、息子たちが中学生になった頃から、親も子供も心身ともに忙しくなって会えない時期があったのだが、彼女たちは時折は電話でお互いの息子たちの近況を報告しあっていたらしい。
「あたし、明枝の最後の入院の時、病院にお見舞に行ったの。その時の明枝は意識不明の状態で、ベッドの傍らにいるご主人が、主治医から女房はもぉー時間の問題だと。その時、息子さんのニューヨーク転勤を知らされた。そして、娘さんも連れ合いの転勤に伴って、一家でロンドンに居を移すそう」
「今はクローバル社会だもんね。優秀な者は、どんどん海外にいってしまう」
 そう言った春子の娘たちは海外どころか、親と同じ市内に住み続けている。
「あらっ、まぁー、こんな時間だわ! じゃーあー、また、今度、会いましょうね。仲良し四人組のうち、明枝が抜けてしまって、これからは仲良し三人組になってしまったけど、残った三人、生ある限り、会いましょうね」
 腕時計の針は午後十時を指していた。
 慌てて腰をあげた春子は、「またね、メールするから」
「あたしも、メールするわ」
「あたしも」
 春子に続いて、真央も富由美も立ち上がり、喫茶店をあとにして、それぞれの自宅に向かって歩を進めた。


「ただいま」
 自宅の玄関に足を踏みこんだ春子は、小声で言ったあと、告別式でもらった清めの塩を我が身にふりかけると、そぉーっとリビングに行った。
 リビングの明かりはついてはいるが、夫は午後八時には床につくので、午後十一時の今は二階の自室で高いびきだろう。
 四十坪の敷地、二十二坪の建坪、四LDKのこの我が家は、三十年前に必死で溜めた一千万円を頭金にして二十年の住宅ローンで手に入れた。
 七十六歳の夫は猫の額ほどの庭で家庭菜園をやっている。
 夫は六十歳の定年まで某電気会社を勤めあげたあと、子会社で嘱託として七十歳まで働いた。それからの七年間は、一日二回の散歩とリビングでテレビ三昧の日々を送っている。
  (続く、第5回)