小説、その2「井森家の記憶」

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古希の三人娘(第56回)

第56回(6/24)
「あぁー、さっぱりする!」
 ファミリーレストラン、ガスタをあとにしたふたりは周囲ににひとがいなかったので、マスクを外した。
 コロナ渦では感染させない、感染しない予防のためにマスクをつけなければならないのだが、暑い時期のマスクは蒸れて、身体中でマスク装着部分が一番汗をかく。
「この暑さでは、あたしはマスクをつけて外を歩くのは一時間が限度だわよ」
「あたしも、同じくよ。マスク装着が一時間を越えると、酸欠になるらしく、頭がぼぉーっとなってしまう。スーパーに買い物に行っても、何を買いに来たのか、わからなくなってしまう」
「若いひとは長時間のマスクに耐えられるだろうけど、まったくもって我々高齢者にとって、夏のマスクは辛いわねぇー。コロナとともに生きるのは容易なことじゃないわよね」
「ほんと、ほんと」
「生きてる限りは、食事の支度、洗濯、掃除、買い物、ゴミ出しなど、様々な用をこなしていかなければならないものね」
「あたし、ひとり暮らしだけど、自分だけの暮らしでも、用事が多々あるもの」
「若い頃は頭も体も動きが早かったせいか、一度に三つぐらいができたし、朝早くから夜遅くまで活動できたせいか、時間が余ってしかたなかったけど、高齢者となった今は、別にたいしたことをしなくとも、退屈を感じる間もなく、一日が過ぎていくし、で」
 ふたりは平行歩行でガスタから夢が丘駅に向かいながら、つうかあの会話をした。
「じゃあー、またね」
「うん、じゃあーまたね」
 ふたりは夢が丘駅で上り線と下り線のホームに別れた。
 没した明枝と生涯独身の富由美、夫を亡くしてひとり暮らしの真央、夫も子供も孫もいる春子、この四人が定期的にこの駅で落ち合って、お昼を食べたり、カラオケや動物園に行ったりして、子供みたいにはしゃぎあった楽しかった日々がつい昨日のように思える。だが、古希を過ぎた今、残った三人はあと何回会えるのだろうか。
 三人ともが達者で百歳まで生きるとは到底思えない。ひとり減り、またひとり減り、で、最後はひとりが残ってしまうのが、世の習いなのだ。
   (第57回)