小説、その2「井森家の記憶」

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古希の三人娘(第53回)

第53回(6/16)
 注文した料理が運ばれてきた。
 ひとに食事を作ってもらい、ひとに食事を運んでもらうことはなんと贅沢なのだろう。
 自宅にいる限りの春子は、自分で料理を作って、作ったものは自分で食卓に運んでいる。
 外食で気の合う者とのおしゃべりは、春子にとって至福の時間なのだが、コロナ禍となった今、そのことがリーズナブルな価格で可能なファミリーレストランが、コロナ以前のように心底から心地よく感じられなくなっている。その理由はこの辺りにもコロナウイルスが漂っており、気を許すとコロナ感染の憂き目をみてしまうからである。
 高齢者は重症化しやすく、その症状は報道で知る限り、呼吸が苦しくなってもなかなか死に至らず、死ぬまでにかなりの苦痛を強いられるらしい。
 真央が食べ終えたので、春子は話を始めた。
 コロナ禍では会食中は飛沫が飛ぶので、会話は厳禁となっている。黙々と食事を済まさなければならない。 
「でもさぁー、老夫婦ふたり暮らしってのも、すごく辛いものがあるわよ。時々、息が詰まりそうになる」
「その気持ち、よぉーく、わかる。だって、あたし、このコロナ禍、もしもダンナが生きてたら、お互いに口にしなくともいいことを口にして、罵りあいになって、下手をすると殺し合いに発展するかも、と、考えるだけで、ぞっとするもの」
 倹約家だった真央の夫は五年前に交通事故で死去した。その死によって、真央は家一軒分の生命保険金を得て、更に、マンション一戸分が買える夫の財産をもらって、今や、二百歳まで生きても使いきれない資産家となっている。
「ひとの寿命は神のみぞ知る、連れ合いが生存中の春子も、また、連れ合いを亡くしたあたしも、高齢者となった今は、幸せはどっちではなくて、それはそれぞれに課せられた定めというもので、許容して、それぞれが自分で自分を楽しませて、日々を送るしかないわね」
 真央が神妙な顔をして語った。
  (続く、第54回)