小説、その2「井森家の記憶」

よろしかったら、読んでください

古希の三人娘(第46回)

第46回(2/19)
 同じ物を食べている昭夫はというと、若い頃から太らない体質で、春子の一・五倍は食べているのだが、いくら食べても肥えず、ちょっとでも食べる量が少ないと体重が減ってしまう。
 それにしても現役時代の昭夫は平日は飲んで帰宅、休日は朝早くからひとりで釣り、と、家庭を顧みることはなかった。
 子育てと家庭のことすべては春子がやるしかなかった。
 そして結婚して約五十年、春子はすっかり逞しくなって、昭夫をまったく頼らなくなっている。
 子育て時代の昭夫は、育児と家事を手伝う仕事があって、家にいてほしかったのに、今は家にいても何も用がないのに、朝から晩まで家にいる。
 長年の間、母子家庭で父親不在、夫不在だった家に、今や身体はぼろぼろ、口だけ達者なじいさんと化した昭夫が家のど真ん中、リビングに居座っているので、春子は昭夫がいる自宅にいると、気が滅入ってしかたがない。
 昭夫が家にいると、友達と電話ができない。というのは、春子の電話の声が大きいので、一番の話題、昭夫の悪口が家中に響き渡ってしまうからだ。
 昭夫が家にいるようになってから、トイレがひとつしかないのも不便と感じる。
 なぜなら人口肛門になった春子は、トイレに要する時間が長くなってしまったからだ。そのうえ年をとると、小用の回数が増えてしまい、やたらとトイレ通いが多くなってしまう。
 今にして思えば、老夫婦にとってトイレは夫用と妻用とふたつ必要だろうが、今からトイレを増築したところで、元が取れる前にあの世の住人となってしまう可能性が大だ、と、思えば、トイレの増築は余計で無駄な出費以外のなにものでもない。
 父は八十四歳で病死をしたのだが、亡くなる一週間前までは元気だったので、父自身もまさか自分が死ぬとは露ほども思ってなかったのだろう、亡くなる半年前に二百万円かけて風呂場とトイレをリフォームした。
     (続く、第47回)