小説、その2「井森家の記憶」

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古希の三人娘(第37回)

第37回(1/29)
 子供や孫がいれば彼らの成長とともに、年を重ねる自分を認識しざるをえないだろうが、彼らがいない富由美は、鏡で自分の顔さえ見なければ、まだ高校生のつもりでいる。
「ラクダ乗り楽しかったです。まるで自分が砂漠の国の王子さまになったような気分でした」
「よかったわ」
 伊吹も富由美と同じことを感じていたのだった。
 平日の動物園は子供連れの若い家族はあまりいず、女たち、老夫婦たち、老人たちが目につき、子供たちがあげる叫声が響かないので、静かである。
「結婚生活は四十年間でした。三年前に妻を亡くすまで、惚れた弱みで夫役をひたすらやって、妻に尽くしてきました。今日はまるで高校生の自分に戻ったようで、体内の細胞が活発化してます」
「それは、よかったですね」
 男も女も結婚すれば夫役と妻役をしなければならないし、子供が生まれれば父親役と母親役が加わる。
「あたし、看護学校を卒業してからは馬鹿のひとつ覚えで、定年まで看護師業ひと筋だったので、いまだに、ひとの世話をする癖が抜けないで困ってるわ」
「人間、長い間に身体に沁みついたものは、この年ともなると抜けるものじゃありません。それにしてもひとの世話をする富由美さんの癖は素敵な癖ですね」
「そぉー、ですか」
「僕は面倒みがいい富由美さんが好きですから」
「まぁーっ! お世辞でも、そのお言葉、頂戴いたします!」
 伊吹は生まれも育ちもいいのだろう。今までの人生、金銭的にも苦労知らずだったのだろう。性格が変にねじ曲がってないのが、七十二歳の男にしては珍しい。
 まぁーいうなれば、我々の関係は男と女のお友達である。
 富由美は男友達には女友達にはない良い点を感じる。その第一は、これでも女なので、男友達は女友達よりも親切である。
 男でも嫌な奴は多々いるが、伊吹は気品や教養をそなえており、礼儀正しく道義を重んじる紳士である。
 富由美は自分でも男を見る目はある方だと思っている。
 もしも伊吹と若い時分に出会っていたら結婚に至っていたかもしれない、と、夢想した次の瞬間、あぁー嫌だ、あぁー嫌だ、首を大きく横に何度も振る。
 ひとつ屋根の下に男と住んで、男に気をつかう生活なんぞまっぴらご免である。孤独が道連れの富由美だが、ぼっちはぼっちなりに何でも自分の思い通りにできる。ひとに縛られない自由があるのだった。
    (続く、第38回)