小説、その2「井森家の記憶」

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古希の三人娘(第33回)

第33回(1/21)
「それで、結局、結論はどぉーなったの?」
 富由美が真央に問うた。ふたりはいつも会う場所、夢が丘駅近くの喫茶店、田園にいる。
「で、結局、結論はね、おかげさまで、どうやら、元のさやに納まったようよ。あたしたち夫婦もそぉーだったけど、どんなに夫婦仲が悪くても、そんなこと、子供にはまったく関係ないことでしょ?」
「そぉー、かもね」
「子供にとっては、夫婦仲が悪くても、ふた親に育ててもらうってことが必要なのよ」
「そぉー、かもね」
 生涯独身で連れ合いもいなければ子供もいない富由美が、夫婦と子供のことはよくわからないが、一応、わかった振りをしておくという顔で相槌をうってくれている。
 真央にとってはこの富由美の対応で気持ちが落ち着く。もし富由美に、あんたもあんたよ、などと、偉そうに自分の意見をぶちかまされて、綿々と説教されたら、もぉー富由美なんかに何も話さない、と、なってしまうだろう。
 人間、古希ともなればこの年まで生きてきた自負というものがある。また、自分に自信を持たなければ、これから先の人生を生きていけないのであり、いうなれば老婆の遠吠えで、自分はこれからも自分が思った通りに生きていく、と話すことによって改めて自分に誓う。
 そんな者をひとは老いたので頭が固くなった、と笑うかもしれないが、この年まで生きてきたことはまぎれもない事実なので、今更、ひとにどう思われようがかまわないのである。
 そんな真央にとって自分の話に耳を傾けてくれる富由美は大切な友達である。
 田園の店内は耳に聞き覚えがあるクラシック音楽が入ってくる。
 クラシック音楽を聞くと、郷愁にかられるのは、幼い頃にラジオから流れたたクラシック音楽を脳が記憶しているからかもしれない。
 コーヒーは八百七十円と高めだが、何時間でもいられるのが魅力だ。
 昨今は田園のような昔風の喫茶店が街から消えており、コーヒーは安いが、長居は禁物が大半で、コーヒーを啜りつつ、ゆっくりと会話ができる喫茶店が希少となっている。
 もっとも今の若者たちは会って直接話すよりも、スマホでの指の会話の方が双方の気持ちが素直に吐き出せるのかもしれない。
     (続く、第34回)