小説、その2「井森家の記憶」

よろしかったら、読んでください

古希の三人娘(第30回)

第30回(1/11)
 素顔でも見られる顔だったし、店に並んでる好みの服を試着すれば、よく似合い、この服は私を待っていた、と、思うことがたびたびだったが、今はどんな服もこの顔、この体型には似合わなくなっている。
 若い時分はパートで働いていたので、自分の稼ぎは自分で自由に使えたので、身に着ける物は高価な物でなければ買えたのだが、そのどれもがお洒落が優先で、皮の重いバッグも平気だったし、きつめの服も着こなせたし、革靴も履けた。
 だが、古希となった今は、お洒落よりも、バッグは軽い物、服は体型を隠せるゆったりしたもの、靴は幅広のウォーキングシューズと実用本位となっている。
 また、昨今はどんな服も似合わなくなっているので、お洒落の楽しみが失せている。
 お洒落ともに、食べる物にも興味を失っている。というのは、昨今は、食べつけないカニのフルコース料理やふかひれスープなどを食したり、食べ過ぎたりすると、その夜は吐き気と下痢に襲われてしまうので、食べ慣れている家庭料理が一番となっている。


 悠太と孫の後ろ姿を見ているとふたりともがかわいくてたまらず、思わず駆け寄って、「悠太、あんな生意気な嫁とはさっさと別れて、悠太と孫とお母さんの三人で暮らそうよ!」と、叫びたい衝動にかられるが、しかし、だが、次の瞬間、待てよ、私の年齢は今、七十歳だ、現在四歳の孫が成人を迎える時、私は九十歳になっている、その時まで生きていられるか? いや、生きていられるとしても、達者で家事ができ、悠太と孫の世話ができるとは限らない、いや、たぶん、九十歳の私はできないだろう、第一、今現在七十歳の私は明日も明後日も、一年後も、二年後も達者で生きられる保証などまったくないのだ、ならば、真央がどんなに毛嫌いしている嫁でも、息子と孫を託すしか他に術はないではないか。
 現実を突きつけられた真央は、深く頭を垂れた。
 そぉーだ、そぉーなのだ、だからして、今日は何とかして離婚に至らないように、と、説得に参ったのではなかったのか。
 だが、今日は嫁と会った瞬間、その相性の悪さから、双方ともの全身がハリネズミと化してしまったが、ここはもはや棺桶に片足を突っこんでいるばあさんだ、無い頭を振り絞って、最善の策を考えなければならない。  (続く、第31回)