小説、その2「井森家の記憶」

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古希の三人娘(第28回)

第28回(1/6)  
 たぶん、嫁の次なる言葉は、「親が口出し、するな!」だろう。
 冷ややかな視線を投げつけた嫁に、真央は更に冷ややかな視線を返す。
 視線を正面に座っている悠太に移動すれば、女ふたりのバトルなんぞ自分には関係ない、という顔で、知らん振りを決めこんでいる。
 その優柔不断な態度の悠太に、真央は血が上っていた頭が急に覚めた。よくよく考えてみれば悠太は立派な大人で、離婚しようがしまいがは、自分で考えるべきであって、若夫婦の離婚話に年老いた母親が登場するべきではなかったのだ。
 それにしても、嫁の全身から発するすごみには思わず後退りした。
 今や完全なる年寄りの部類に属する真央は、嫁の言動にいちいち怒り狂っていたら、身が持たない。血圧が急上昇して、下手をするとひっくり返る。
 今の時代、嫁は真央たちの時代の嫁とはまったく異なる。親を親とも思わず、年寄りを敬う気持ちなど微塵も持ち合わせていない。
 それにしても今回の訪問のおかげで、嫁がテーブルの上に並べた安物の寿司とペットボトルのお茶で、嫁の家事能力が著しく欠如し、嫁が気が利かず、嫁がひとのためにお金を使うことを惜しむ奴だということがよくわかったことは、不幸中の幸いである。
 なぜなら、真央の頭の隅にわずかながらでも残っている「自分の身体の自由がきかなくなったら嫁に世話になろう」のすけべ根性が、見事に消え失せたからだ。
 くわばら、くわばら。
 初対面から嫁とは相性が悪いと思っていたのだが、その直観は大正解だった。
 以後は何も無理して嫁と付き合う必要などさらさらないのだ、
 それにしてもいい年をして、母親に離婚話を相談してくる悠太も悠太だ。
 ここはきっぱりと、自分のことは自分で解決せよ、と、申し渡そう。
 そして、もしも離婚に至ったとしても、親を頼るな、と、毅然たる態度で突き放そう。
 自分のお金は自分のために使い果たしてから、この世とおさらばしよう。
 (続く、第29回)