小説、その2「井森家の記憶」

よろしかったら、読んでください

古希の三人娘(第18回)

第18回(12/10)
 卵巣ガンの手術で入院中、夫の昭夫はまったく当てにならないので、春子は使い捨てにしてもいい格安の下着を二十枚買って、病院に持参した。
 昭夫は連日病院にやってきたが、春子を喜ばせる台詞を吐くでもなく、ほんのわずかの時、病室にいて帰るのだった。
 その昭夫がある時、「何か、用がある?」と、尋ねたので、ちょうど汚れ物があったので、「悪いけど、これ、洗ってきて」と、頼んだら、その物は持って帰ったきりで、とうとう病室に戻ってこなかった。
 またある時は、「何か、食べたい物がある?」と、聞いたので、ちょうどリンゴが食べたかったので、「リンゴが食べたい、切って皮をむいたものをタッパーに入れて持ってきて、切ったリンゴはすぐ赤くなるから、塩水につけてね」と、言ったら、翌日、一晩は塩水につけただろう、しょっぱすぎる、塩漬けリンゴを持ってきた。
 そんなこんなで、そもそも昭夫に何か頼むのが間違いの元、と、以後、頼みごとを控えるようになった。
 幸い、病院にはコンビニがあった。
 外出不可の入院患者にとって、コンビニはまさしく助け船だ。必要な現金はおろせるし、コロッケもコーヒーもある。
 術後の数日間こそは食べる物に制限があったが、春子の場合はガン以外の内臓は異常がないので、何でも自由に口に入れられたが、人口肛門になったゆえ、腸の詰まりが怖くて、病院食以外では消化のよい物を心がけた。
 E総合病院は医師も看護師も食事係のひとも、掃除のひとも、そこで働く者たちのすべてが親切で、春子は、ひとにこんな親切にされたのは生まれて初めて、と、夫の世話と家事から解放された病院暮らしが嫌ではなかった。
 入院費用は若い日に加入しておいた夫婦で月額二千円の掛け捨てガン保険と、生協の掛け捨て保険二千円で、一日に一万五千円ほどの保険金がおりたし、市の高額療養費の恩恵を受けて、ひと月の負担限度額が約八万円だったので、入院に関しては経済的には困ることはなかった。
 それにつけても、高額療養費の制度がなかったら、ガンの手術と入院の際の医療費が約百五十万だったので、この高額医療費制度には感謝せずにはいられない。
      (続く、第19回)