小説、その2「井森家の記憶」

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古希の三人娘(第9回)

第9回(11/19)
 以前も同じ症状で一週間ほど入院した際は、死にそうもない、入院している間はゆっくりさせてもらおう」と、自宅でくつろいでいた春子に、昭夫は病院から何度も電話をかけてきて、「あれ持って来い、これ持って来い」で、結局、春子は連日、昭夫の病室に請われた物を届けに行ったのだった。
 昭夫が入院したE総合病院は自宅からタクシーで千円、自転車で二十分、徒歩で三十分ほどの距離なので、春子は、天候と我が体調と持参する物の量に応じて、タクシーにするか自転車にするか徒歩をするかを決めている。
「この病室は所有物を置けませんので、服と靴などお持ち帰りください」
 昭夫のベッドの傍らに立つ春子に、寄ってきた看護師が告げた。
 ひとたび入院となれば、家族は諸々の手続きをしなければならない。
 複数の書類に必要事項を記入しなければならないのだが、緊急時の連絡先として、三名の名前と住所と電話番号を書く欄があるのだが、それだけでもけっこう面倒な作業である。
 他にパジャマとバスタオルとハンドタオルなどのリース申し込みをするのだが、E総合病院は一日に五百円でそれらを使い放題なので、あとは下着と歯ブラシ、コップなどを用意すればいいだけなので、入院時の持ち物はそんなに多くはない。


 以前の下血を振り返っていたが、それはそれとして、ところで、現在下血中の昭夫は、自室ベッドで横になっている。妻の春子としては首に縄をつけても昭夫を病院に連れて行きたい気持ちが山々なのだが、現実問題として昭夫がひとの言うことを聞かない人間だということは充分承知しているので、ここは昭夫が、病院に行く、と言うまで待つしかない。
 と、思ったところで本日は日曜日、ふたりの娘一家、ふた家族が我が家にやって来る日であった。
「もし、もし、お母さんだけど、今朝からお父さんの具合が悪いの。申し訳ないけど、今日は来るのを遠慮して」
 二人の娘に立て続けに電話をした。
 二人とも、「お父さん、死にそうなの? 何かあったら、すぐ連絡、お願いね!」との返答で、二人とも父親の身を案じる言葉ひとつ吐かなかった。
 要するに、親が子供を思うほど、子供は親を思はないのだ。
 家庭を持った娘たちにとって、一番大事なのは我が家族であろう、それが当たり前だ。
 それにしても、人間はそんなに簡単に死ねるものではない。
 その証拠に義父は八十歳の時、心臓に大動脈留が発見されて、医者に、「今、破裂して亡くなってもおかしくなく状態」と言われたのだが、それから八年間を生きて、最期は老衰で亡くなった。(続く、第10回)