小説、その2「井森家の記憶」

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古希の三人娘(第8回)

第8回(11/ 18)
 救急車で運ばれる昭夫は、血圧が急降下し、出血量が多くてひどい貧血で、一緒に救急車に乗りこんだ春子は病院への移動中、救急車のなかで昭夫の死を近くに感じて、葬儀の手筈を考えていた。
 長男の嫁の春子は義父と義母を見送っているので、葬儀の手筈は熟知している。
 医師に、「ご臨終です」と、告げられたら、病院は長い時間、遺体を置いてくれないので、ただちに互助会に電話で一報を入れれば、あとは葬儀屋がすべてやってくれる。
 その葬儀屋は自宅から徒歩十分の地に葬儀会場があるので、葬儀はそこでやればいい。
 だが、問題は死者を成仏させてくれるお坊さんだが、菩提寺の住職さんはつい最近、肺ガンで昭夫より四歳年下だが、死去しており、今現在、菩提寺の後継ぎがいず、菩提寺は住職不在となっている。
 住職さんがいなければ、誰が昭夫の葬儀で念仏を唱えてくれるのだろう、困ったなぁー、と、思案しているうちに、救急車は昭夫が外来でお世話になっているE総合病院に到着した。
 ストレッチャーで救急外来の診察室に運ばれた昭夫が、なかで種々の検査をうけている間、春子は救急外来待合室の長椅子に腰を落として、ひたすら検査結果を待った。
 救急車のなかの昭夫はか細い声で、「春子、いるのか?」と、尋ねた。「ここに、いるわよ」と、春子が答えると、「そぉーか」と、安心したような声を出した。
 元気な時は、いくらひとりで大丈夫だ、と、強がっても、人間、いざその時となれば誰かに側にいてほしいものらしい。
 だが、昭夫は今回、救急車のなかで、「ひとはこうやって死んでいくんだなぁー」と、つぶやいていた。
 さんざん使った人間の体、七十歳を過ぎれば誰だってどこかしらに不具合が生じる。故障した体を修理しいしい生きていかねばならないのが、老いた者の定めで、老いとはとてもじゃないが闘えるものではなく、共存して生きていくものだろう。
 結局、昭夫は救急救命病棟、そこはいかにも人間の最後の病室のよう、を思わせる所に運ばれて、入院することになった。
 救急救命病棟の面会は、一日にひとり、三十分以内と決められていた。
「髭剃りと歯ブラシ、携帯電話、頼む」
 ベッドのなかの昭夫が弱々しい声で春子に言った。昭夫は救急車から今までの間、意識を失うことはなかった。
(続く、第9回)