小説、その2「井森家の記憶」

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古希の三人娘(第51回)

第51回(6/12)
 高齢者となった春子は、もし我が身に何かあった時は、娘たちが何とかしてくれるだろう、と、胸の奥深くにひそかなスケベ根性を持っていたのだが、コロナ禍以後は、このご時世、若い者たちは我が暮らしを守ることで精いっぱいで、親などみる余裕はない、と思うようになっており、けして子供たちを頼ってはならぬ、最後の最期までひとりで生きていこう、と、意を強くしている。


「久しぶりっ! 元気だった?」
 夢が丘駅前、ファミリーレストラン、ガスタに真央が現れた。
 我が県はこのところ感染者数ゼロの日が続いているのだが、コロナの治療薬、ワクチンはまだ開発されていないので、それらができるまで、地球上に住む人間たちはコロナウイルスに感染しないように用心して日々を送らなければならない。
 午後二時のガスタはコロナ禍以前の賑わっていた店内とは違い、客がまばらである。テーブルとテーブルの間は社会的距離をとって二メートルは離れており、客同士が対面で話せるように、テーブルの中央は透明なアクリル板が設置してある。
 コロナ感染予防には互いに話す相手のつばを浴びることは厳禁なのだ。
「悪かったわねぇー、コロナ禍のところ、呼び出して」
 透明なアクリル板で仕切った向こうにいる真央が腰を落として、真向いに座っている春子に深く頭を下げた。
 双方ともがマスクにフェイスシールドをしている。
 会って話をし、ともに食事をしたことで、もし相手が無症状のコロナウイルスの陽性者だったら、移された相手はのちのちまで相手を恨むだろう。
 ならば、と、今はコロナ対策として、マスクと更にフェイスシールドをする者がけっこういる。
「何、する?」
「そうねぇー、和風ハンバーグ定食とワイン、それとドリンクバー」
 春子は夫の昭夫がハンバーグを好まないので、自宅ではまずハンバーグを食卓に並べないので、たまには、と、注文した。
「あたしは、スパゲティナポリタンとグラスビール、それと、ドリンクバー」
 互いの間は透明なアクリル板で仕切られているので、安心しておしゃべりの花を咲かせられる。
「あたしね、コロナ禍で自粛生活が続いてた間、スポーツクラブもあれこれ顔を出している会、すべてが休会だったし、もちろん、一番の生き甲斐だった海外旅行も行けなくなってしまい、で、それで、あたし、ひとり暮らしでしょ?」
「うん」
「一日中、誰ともしゃべらない日が続いてた」
   (続く、第52回)