小説、その2「井森家の記憶」

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古希の三人娘(第25回)

第25回(12/29)
「忙しいところ、お呼びだてして申し訳なかったわね」
「いいのよ。ちょうど、あたしの方も真央さんと会って、話したいことがあったから」
 富由美と真央は夢が丘駅近くのファミリーレストランにいる。
 富由美はステーキ定食、真央はハンバーグ定食を注文した。
「最近、肉より魚がよくなってしまったけど、ひとりご飯だとどうしても好きな物しか食べなくなってしまう、で、たまには精がつくステーキを、と」
 一口大に切った牛肉をフォークで口に運びながら、富由美が言った。
「あたしがハンバーグなのは、子供の頃の悠太がハンバーグが大好きで、よくふたりで食べたことを思い出すから」
 勝治は洋食系の料理が大嫌いだったので、真央は悠太と外出した際、母と子でよくハンバーグを食べた。ハンバーグには可愛かった悠太との思い出が詰まっている。
 過ぎ去った日々はもはや戻らない。
 今の悠太はあの頃とはまったく別人となっている。
 夫の勝次とは不仲だったが、会社員ゆえ平日の昼間は不在だったので、真央は昼間の時間を自由に使えた。
 夫の勝次の長所は子煩悩だったことだ。悠太にかかる費用と真央が子供の用で外出することには文句を垂れなかった。
 真央は勝治が休みの日は自宅にいるのが嫌だったので、悠太と出かける用を作っては、母と子でよく外に出ていた。
「ところで、先にあたしが話をさせてもらってもいい?」
「どうぞ、どうぞ」
 富由美が先に自分の話を切りだした。
「話っていうのは、明枝さんの御主人のことなんだけど、ご主人、明枝さんの四十九日の晩、自宅で脳出血をおこして倒れたそうよ」
「えっ!」
 寝耳に水の話だった。
「不幸中の幸いで、その時、自宅に明枝さんの四十九日の法要で帰国した息子さんと娘さんがいたので、救急車で病院に運んだそう」
「ところで、その話、どこから耳に入ったの?」
 真央はなぜ富由美がそのことを知っているのか怪訝に思ったので尋ねた。
「あたし、明枝さんから江戸図鑑という高価な本を借りてたの、でも、返す前に明枝さんが亡くなってしまったので、ならばご主人に、と電話をかけたら、電話口に息子さんが出て、この話を聞いたってわけ」
「で、ご主人の容態はその後、どうなの?」
「幸いといっていいのかわからないけど、一命はとりとめたけど、脳にダメージをうけて、頭も体も不自由になって、とてもじゃないけど、ひとりじゃあー生きていけない状態だそぉー。息子さんも娘さんも、お父さんの世話をするために、今までのキャリアをすべて捨てて、帰国するそうよ」
「ご主人、明枝さんが亡くなってからひとり暮らしをしてたから、きっと生活習慣が乱れて、食事もきちんととらなかったんでしょうね」
「ご主人、見のまわりのことすべて、明枝さんに頼ってたから」
「その点、女は強いわね。ダンナが死んでしょぼんとするどころか、反対に、世話をする者がいなくなって、元気溌剌になるもの」
「その通り! はっはっはっ」
 富由美と真央は顔を見合わせて笑った。
 (続く、第26回)